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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第35回

2012年04月28日 | 日記
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   ひまわりさんより(4月28日)

今日の安息日は、銚子にある私たちの教会の礼拝に参加するため、夫と共に出かけました。
銚子の近くへ行くと、大きな風力発電機のプロペラが回っていました。
ところが、道路の左側のプロペラは回っているのですが、右にある1台は故障しているのか全く動いていません。
巨大な設備が、ただ立っているだけで何の働きもしていないのは、全くのデクノボーで、それを見て私は
、人間も、神様の力を受けて行動しなければ、何の役にも立たないのだと思いました。
今日の礼拝のお話では、「クリスチャン生活は古いものを修正したり改良したりすることではなくて、
性質が生まれ変わることである。自我と罪に対する死があり、全く新しい命がある」ということ、
「人は、最高の意味において、イエスを信じる者となることができる前に、自分自身をむなしくしなければならない。
自我が放棄されるとき、主はその人を新しい人間にすることがおできになる」というテーマで
、新しく生まれることの必要が訴えられました。

  真理のために生涯をささげる(デビット・カン講演35)

私はこの写真が大好きなのですけれど黙示録19章の描写です。
イエスキリストが、白い馬に乗ってこられる姿が描かれています。そして、すべての天使がイエス様に従います。
なぜイエス様の到来が、白い馬に乗った姿として描かれているのでしょうか。なぜなら、これは戦争の時だからです。
悪人たちは、すべての神の残りの民を殺し、滅ぼそうと躍起になります。
その時、私たちの王であり、将軍であられるイエスキリストが、救いにやってこられます。
その危機的状況から私たちを救出するために・・・。私たちには、忍耐、我慢が必要です。
真理のために、皆さん生涯をささげることができますか。「悩みの時」に立ったままでいられるでしょうか。
その時私たちは、完全に神様から見捨てられたのではないかと思われる状況もやってくるでしょう。
十字架上で、イエス様が経験なさったことに似た経験をするでしょう。
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」。
ある意味で、それにそっくりの経験にあずかることでしょう。
神様に見捨てられ、自分ひとり取り残されたと思われるような状況になることでしょう。
しかし、『各時代の希望』を読むならば、
「すべてが終わった」という章がありますが(79章)、そこにホワイト夫人は素晴らしいことを書いておられます。