
ひまわりさんより(4月29日)
今日は教会のある集会に参加しましたが、み言葉を知識や概念だけで語ると、疲れさせるだけだということを感じました。
福音を、生活を変える生きた力として語らなければならないことを思いました。
ところで、今日も、夕方千葉ではかなり大きな地震が、続けて2回起きました。
イエス様の再臨の前兆として、地震の頻発が教えられていますが、
イエス様が、再臨の準備をしなさい、と教えておられるように感じます。
イエスの信仰を持つ民(デビット・カン講演36)
イエス様は、ご自分が見捨てられたと、本当にひしひしと感じられたという表現があります。
ところがその時に、イエス様は、父なる神様の約束を思い出されたと書いてあります。
天使たちの援軍をイエス様は一つも見ることはできませんでした。天からの一筋の光も見ることはできませんでした。
彼は全くの闇に取り残された状態でした。その時に、父なる神様の約束を思い出されたのです。
そのときイエス様は、信仰によって「すべてが終わった」と言われたのです。
目に見える、神様からの印は何一つありませんでした。
しかし信仰によってイエス様は「終わった」と言われたのです。それこそが「イエスの信仰」です。
14万4000の人達は「イエスの信仰」を持つことでしょう。
黙示録14章12節に書かれている、「神の戒めを守り、イエスの信仰を持つ聖徒たちの忍耐」(欽定訳)、
そのような忍耐を、私たちは今から養っていく必要があります。どのようにしてそれが可能なのでしょう。
私たちがイエス様と、本当の意味で恋に落ちたときです。
私たちが心からイエス様を愛するとき、イエス様の犠牲を心から感謝できるときに、イエス様を裏切ることはなくなるでしょう。
イエス様を裏切ることが不可能になってしまうのです。
私たちは、愛する者を決して裏切ることがありません。母親が子供たちを裏切ることは決してありません。