ひまわりさんより(4月26日)
八重桜の続報です。昨日見た八重桜の話を、職場の主任に話したら、行動派の彼女は、
さっそく昼休みに牧場まで行って写真を撮ってきてくれました。
彼女は、自分が関わっている難病の人にせめて写真だけでも見せてあげたいと思っていたのです。
その写真を事務の女の子に、プリントしてくれるよう頼んだら、彼女もその話に賛同して、
普通紙でなく、A4サイズの大きな写真用紙にプリントしてきてくれ、すてきな写真となりました。
きれいな花をめぐって、皆のやさしい心が広がっていきました。
後の雨と大いなる叫び(デビット・カン講演33)
日曜休業令のあとに、後の雨が、残りの民に注がれます。セブンスデー・アドベンチスト教会の残りの民と、
バビロンの諸教会にいる神の民にです。そして彼らは、後の雨を受けて一つになります。
神様に対する初穂として、捧げものとして、神様が彼らに印を押されます。
後の雨をもって、神の民を印されるわけです。
これらの印された人たちが立ち上がって、大いなる叫びを発します。
その時全世界が揺さぶられます。人々はショックを受けます。
私たちが法王教の間違い、その罪を暴くのです。
大いなる叫びとは何でしょう。
私たちが、那覇とか名護の街に行って、忙しい人が大勢集まっているところに行って、通りで大声で叫んだら、
人々は聞いてくると思いますか。注意を払ってはくれませんよ。
どこかの精神病院から出てきた人かなあ、としか思われませんよ。
決して、まともには注意を払われないのですね。では、どうして突然人々が、
私たちの言うことに耳を傾けるようになると思いますか。
どうしてかというと、私たちが聖霊に満たされるようになるからです。
人々が、世界中で起こっていることを見るときに、彼らの心の中に、飢え、渇きが起こります。
短期間で人々は義を探し求めるようになります。「私に真の、本当の神様を示してくれる教会はどこにあるだろうか。
どの教会だろうか。
聖書の真理について私に示してくれる人々、教会はどこにあるのだろう」。
もう、世界中の教会に対して、人々は飽き飽きしています。その時、神様は一つの教会を立ち上げられます。
そこに加わっている人たちが大いなる叫びを発するようになるのです。