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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第20回

2012年04月13日 | 日記




   ひまわりさんより(4月13日)

訪問看護で行っている利用者さんに、104歳のおばあちゃんがいます。
すごく乱暴なところがあり、最初のころ、同僚はパンチを受けたり、つねられたりして手をやいていました。
その後、その同僚とはいい関係になったのですが、時々行く私には、すごい顔で睨み付け暴言を吐いたりして、
看護を拒否していました。そこで、同僚とはいい関係になったのだから、私と同僚の違いは何だろうと思った時、
もしかして、メガネかもしれないと思い、今日はメガネをはずして訪ねてみました。
すると、おばあちゃんは、「オメエ、若くなって、肌がすべすべになったなー」と言ってくれたのです。
そして、「そういうすべすべした肌の人間は医者いらずだぞ。
おれもこの年になるまで、一度も病院にいったことがないぞ」と、うちとけて話してくれたのです。
それから、自分は、継母に育てられ、産みの親を知らない、兄弟もいなくて一人ぼっちだった、だから気が強くなったんだ、
と身の上話をしてくれました。
それからは、手で払いのけたり、足で蹴飛ばしたりしなくなったので、いろんなことをやってあげることができました。
髪の毛をとかしてあげると、「オメエだけだ、髪をとかしてくれたのは」と言って喜んでくれました。
メガネが良かったのかどうかは分かりませんが、おばあちゃんが心を開いて素直になってくれたので、
やってあげたいと思ってもできなかったことが、存分にやってあげることができました。
私たちと神様との関係も、素直になれば、神様が良いように導いて下さるのだと思いました。

  世の終わりの前兆(デビット・カン講演20)

弟子たちは、イエス様に次のような質問をしました。
マタイ24章3節、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起こるのでしょうか。
あなたがまたおいでになる時や、世の終わりにはどんな前兆がありますか」。
この章に出てくる預言のことば一つ一つの意味を解釈するのでなく、イエス様が述べられた前兆、
時のしるしについて焦点を当ててみたいと思います。
次に、24章の4節から8節を見ていきたいと思います。
「そこでイエスは答えて言われた、『人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者が私の名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くのを惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい。
あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上るであろう。またあちこちにききんが起こり、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである』」。
  ここに書かれていることは、ほとんど歴史を通じて繰り返し、繰り返し起こってきたことでした。
国家間の対立、戦争のうわさ、災害、地震というのも各時代を通して起こってきました。
歴史を見る限り、ここに書かれていることは何ら新しい者はないわけです。
しかし、この聖句を吟味しなおしてみると、あるものが見えてきます。興味深いものです。
そして、見ていくうちに、「ちょっと待てよ、これは新しい概念をもって聖句を見てみなければいけないのではないか」
と考えました。再びマタイ24章7節を見てみます。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう」。
ここで注意を払ってください。今まで見たことがないような形で、この聖句をみることができるようになるはずです。
あちこちにききんが起こり、疫病、地震が起こるであろう。
実は、日本語の聖書でも韓国語の聖書でもこの疫病という言葉が抜けています。
しかし、ギリシャ語のもともとの聖書や、欽定訳聖書には、この疫病と言う言葉はしっかりと書かれています。
イエス様は、こうしたことがあちこちに起こるといわれました。そのときひらめいたのですね。
「イエス様は、あちこちに起こると言われた」、どういうことかというと、世界中のあちらこちらで、
いろんな場所でこのようなことが起こると・・・。
世界中のあちらこちらで、同じ時に、同じような現象が起こると言っているのです。