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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デビット・カン先生の証12

2012年09月03日 | 日記



   ひまわりさんより(9月3日)

今日の日課の言葉をご紹介いたします。
「私たちが、イエスに近づき、主の品性の純潔さを明らかに認めれば認めるほど、
罪がどれほどはなはだしく恐ろしいものであるかを悟り、自己を称揚する気持ちにはなれなくなる。
清い者として神に認められるほどの人は、自分の善良さを誇ったりはしない。
使徒ペテロは、キリストの忠実な僕となって、天からの光と力を受ける大いなる光栄に浴した。
彼はキリストの教会の建設に活動的な役割を果たした。
しかし、ペテロは、あの不名誉な恐るべき経験を忘れることができなかった。
ペテロの罪はゆるされた。
しかしペテロは自分をつまずかせた品性の弱さに対しては、キリストの恵みによらなければ救われないことを知った。
彼は、自分には何一つ誇り得るものがないことを認めた」。
ペテロは、イエス様を裏切るという、ひどい罪を犯したのですが、そのような自分を赦して下さる方と出会い、
『このひとによる以外に救いはない』、と言えたのでした。



 罪意識に悩んでいた私(デビット・カン講演12)

ところが、ある日のこと床の上で、聖霊は私に語ったのです。
「デビットよ。お前は牧師ではない。クリスチャンですらない。
お前は今のままの道を歩き続けていたら、その落ちた先は地獄だぞ」と・・・。
目が覚めたとき、私の体中汗でびっしょり濡れていました。
 それは、本当に真に迫ったものでした。実は、私の中には、罪意識がずっとあったのです。
按手礼を受けた牧師であり、優秀な説教家であり、いろんな人から称賛されていました。
教会の成功したリーダーとして認められていて、私の前途は明るいものだと、自他共認めていました。
そういった中で、私は、罪の意識に悩んでいたのです。どうしてでしょうか。私は勝利の経験をしていなかったのです。
私は、自我に勝利していなかったのです。誘惑がありました。
 牧師にとって、安息日は結構ストレスの多いものなのです。
また、教会の理事会はストレスが多いものとなります。それで土曜日の夜は、私にとって娯楽の時なのです。
もう、本当に、ストレスの多い1週間だったなあー。
特に理事会は大変だった。安息日はストレスの多い日だったのです。
 教会では、聖人のように振る舞わなくてはいけない、にもかかわらず、
家では悪魔のように振る舞っていました。教会ではすばらしい説教をしていました。
でもそういう説教をすればするほど、自分が偽物だという思いが強くなってきました。
いい言葉を語るのですが、その言葉に従って生きていませんでした。そういった罪の意識に悩んでいたのです。
そして、牧師としてうまくいっていて、前途有望な中にあって、牧師をやめたいと思うこともあったのです。
教会を出てしまうこともあるんじゃないか、と思うこともあり、幸福ではなかったのです。