ひまわりさんより(9月22日)
今日の安息日は、朝から夜までとても感謝に満ちた一日でした。午前中は、9時から、息子の通う神学校1年生のY君が来てくれ、共に聖書の学びと礼拝を行いました。うれしいことに、彼は、前回来た時、ポケット版の『各時代の大争闘』をあげたのですが、自分も他の人にあげたいからと言って、10冊も取り寄せ、友達に配るのだそうです。3人だけの礼拝でしたが、とても充実したものだったと思います。彼は、12時過ぎに帰り,その後、もとの教会で聖書研究を行っていた、Kさん親子が来てくださり、息子とガールフレンドと一緒に、聖書の学びをし、その後近くの渓谷まで川遊びに出かけました。そのあと、日没礼拝では、子供たちのために夫が、腹話術をやってあげ、子供たちは大喜びでした。夜には、手術で入院していて、数日前に家に帰ってきた方の、フットマッサージに、夫と共に出かけました。その方は、手術後1か月近くも風呂に入っていなかったそうで、足浴をしたら、アカがたくさん出てきました、足浴で足を温めた後、昨日習ってきたフットマッサージを行ったところ、とても気持ちがいいと喜んでくださいました。ところが、家に帰る途中で20分ぐらい来たころ、免許証などを入れたポシェットを忘れたことに気づき、引き返してもらう羽目になり、夫に怒られてしまいました。この頃、忘れっぽくなってしまって、もっと気をつけなければならないと思いました。
真理は力である(デビット・カン講演6)
いろんな大事な言葉が聖書の中に見られますけれども、それらは単なる概念、知識ではないのです。み言葉というのは、生きた力であります。『お祈り』という時に、それはただ単に手を組んで何か神様に語るということでしょうか。それは単なる概念にすぎません。
バビロンの教育者たちは、人類にそのような概念を教えてきました。しかし、真理というのは単なる情報ではありません。真理は力なのです。では、お祈りとはなんでしょうか? お祈りとは、私たちと神様の関係そのものなのです。私たちが神様とつながっている時、何かが起こります。何かを受けるのです。私たちは変えられます。自分自身を神様にささげます。