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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義(デビット・カン講演6)

2012年09月22日 | 日記



 ひまわりさんより(9月22日)

今日の安息日は、朝から夜までとても感謝に満ちた一日でした。午前中は、9時から、息子の通う神学校1年生のY君が来てくれ、共に聖書の学びと礼拝を行いました。うれしいことに、彼は、前回来た時、ポケット版の『各時代の大争闘』をあげたのですが、自分も他の人にあげたいからと言って、10冊も取り寄せ、友達に配るのだそうです。3人だけの礼拝でしたが、とても充実したものだったと思います。彼は、12時過ぎに帰り,その後、もとの教会で聖書研究を行っていた、Kさん親子が来てくださり、息子とガールフレンドと一緒に、聖書の学びをし、その後近くの渓谷まで川遊びに出かけました。そのあと、日没礼拝では、子供たちのために夫が、腹話術をやってあげ、子供たちは大喜びでした。夜には、手術で入院していて、数日前に家に帰ってきた方の、フットマッサージに、夫と共に出かけました。その方は、手術後1か月近くも風呂に入っていなかったそうで、足浴をしたら、アカがたくさん出てきました、足浴で足を温めた後、昨日習ってきたフットマッサージを行ったところ、とても気持ちがいいと喜んでくださいました。ところが、家に帰る途中で20分ぐらい来たころ、免許証などを入れたポシェットを忘れたことに気づき、引き返してもらう羽目になり、夫に怒られてしまいました。この頃、忘れっぽくなってしまって、もっと気をつけなければならないと思いました。





      真理は力である(デビット・カン講演6)

 いろんな大事な言葉が聖書の中に見られますけれども、それらは単なる概念、知識ではないのです。み言葉というのは、生きた力であります。『お祈り』という時に、それはただ単に手を組んで何か神様に語るということでしょうか。それは単なる概念にすぎません。
 バビロンの教育者たちは、人類にそのような概念を教えてきました。しかし、真理というのは単なる情報ではありません。真理は力なのです。では、お祈りとはなんでしょうか? お祈りとは、私たちと神様の関係そのものなのです。私たちが神様とつながっている時、何かが起こります。何かを受けるのです。私たちは変えられます。自分自身を神様にささげます。