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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デビット・カン先生の証13

2012年09月04日 | 日記



  ひまわりさんより(9月4日)

昨日の読み物の中に、「私たちは、たえず、心を砕いて罪を告白し・・・」
「私たちは、たえず自己を捨て、キリストに頼ることによってのみ、安全に歩くことができる」とありました。
今日はこの言葉について瞑想していました。
そして、「たえず心を砕き罪を告白する」とはサタンに足場を与えていた罪を、聖霊様に教えていただいて、
それを告白して、イエス様にゆるしていただき、
サタンに足場を与えるようなものをイエス様にあって処理してしまうことだと思いました。
「もしわたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、
すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(1ヨハネ1:9)と、サタンに対して言い、
「もうお前の誘惑は受けない」、と言ってサタンを去らせることだと思います。
また、「たえず自己を捨てる」、とは私たちの肉の性質は、完全にサタンに支配されて産まれて来たものですから、
肉の性質的なものがわいてきたときには、それを完全に否定することです。
「怠惰や自己愛やつぶやき、不平不満、面倒くさい」、というような思いは、
すぐに否定して選ばないようにすることだと思います。
「イエス様に頼る」ということも、よくわからなかったのですが、
たえず助けようとしておられるイエス様が働かれるのを妨げているものを取り去ることだと思いました。
サタンに抵抗してそれに従わなければ、必然的にイエス様はすぐに助けてくださるのです。
今までは、イエス様に頼るとは、「イエス様助けてください」とお願いすることだと思っていましたが、
サタンを敵として立ち上がることが、イエス様に頼ることではないかという思いが起きてきました。

 罪意識に苦しむ(デビット・カン講演13)

 私にはすばらしい妻がいます。しかし、当時は幸福ではなかったのです。
可愛い二人の娘も生まれていました。それでも幸福ではなかったのです。
牧師として成功していても、幸福ではなかったのです。
人から、「あなたは前途有望ですね」と言われていたにもかかわらず、幸福ではなかったのです。
 神様との正しい関係を持っていなかったのです。本当の意味での幸福ではなかったのです。
牧師をやめてしまおうかとも思っていました。
 実は私は、テレビを見るのが大好きだったのです。映画、ドラマ、スポーツ、
ストレス解消にはそれが一番だと思っていたのです。私は罪の中にいたのです。
それに勝利する方法も知りませんでした。特に、アメフトを見るのが大好きでした。
最初、アメリカに渡ったころは、そのスポーツについて知らなかったのですが、
見ていたら、それにはまってしまったのです。日曜日、テレビの前に座って、一日中見ていました。