ひまわりさんより(9月26日)
今日の朝、いつものように鯉にエサをあげようと思って、まず、手をポンポンと2回たたいてみました。そうすると、一番すばっしっこい銀色(銀ちゃんと名前をつけました)が、上の方にさっと上がってきました。今までは、私が近づくだけで逃げ回っていたのに、毎朝、ポンポンと手を叩いてからエサをやっていたら、今日はエサをもらう前に、音だけで反応してきた、ように見えました。私はこれをみて、なんてかわいいんだろう、神様も、私たちが神様から呼ばれたとき、こんな風に反応したら、喜んでくださるのだろうなと思いました。
安息日は神の印(デビット・カン講演10)
第2のペンテコステがやってこようとしています。「聖霊の後の雨」が注がれることでしょう。誰に? 二つのグループの人たちに、です。後の雨というのは第2のペンテコステであります。セブンスデーアドベンチスト教会の残りの者たち、バビロン諸教会の残りの者たち、これら二つのグループに属する人たちが、「主我らの義」という経験を本当の意味でするわけです。これが「第一天使の使命」であります。第一天使の使命は何と言っていますか? 一人の天使が中空を飛んで、永遠の福音を携えてきました。そして叫びます。何と言っていますか「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからである」。それからこのように言いますね。「創造主を礼拝しなさい」。「拝みなさい」と、そのように書かれておりますね。それは安息日を守るという経験を表しているのです。
私たちは、なぜ安息日遵守者なのでしょう。安息日遵守というのは、この地球の歴史において、何か、とても特殊なものを表現しているのです。最終時代、終末において安息日を守るというのは、神の印を表します。それは、何でしょうか。なぜ安息日を守ることは、神の印なのでしょうか。聖霊の印と神の印の違いは何でしょうか。『今朝私は、皆さんの頭をどんどん刺激しようと試みています。終末についての学びをしていきたいわけですね』。残りの民に属するということはどういうことでしょうか。教団、教派はこのような教え方をします。「教団や教派の一員になれば、教会員名簿に名前が載れば残りの民となる、そして、教団から除名されたら、名簿から名前が消されたら残りの民の資格を失う」と。これはローマカトリックの教えなのです。