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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義(デビット・カン講演5)

2012年09月21日 | 日記




     ひまわりさんより(9月21日)

今日は、ふくらはぎと足裏のマッサージを実際にやってもらうため、東京までに出かけました。実際にやってもらうのと、自分でやっているのとではいろいろ違う所があり、こういう所はこうした方がいいとか、足の裏は、人差し指と親指の関節を使ってマッサージすると効果的だとか、ベビーオイルをたっぷり使い、プラスチックの薄手の手袋を使ってマッサージすると、スムーズにできるということなどがわかりました。帰ってから夫にやってあげたら、気持ちいいとも何とも云わずに、寝てしまいました。

    キリストが力を発揮される道(デビット・カン講演5)

イエス様を個人的救い主として受け入れるとは、私たちの人生の主として、王様として受け入れるということなのです。
 よく、「信仰による義」と言う言葉が使われますね。それはどういう意味でしょうか。信仰によって、私たちが義なる者になるということですね。何に対する信仰ですか? 「十字架のイエス様の死に対する信仰」、と言う人たちもいるでしょう。それはどういう意味でしょうか? 信仰によって私たちが義とされる、義なる者となるというのはどういう意味なのでしょうか。できるだけ単純に説明したいと思います。子供でも理解できる方法をとりたいと思います。
 私たちは義人ではないのです。義なる要素を私たちは持っていません。私たちは自分の中で、どんな小さな義も作り出すことはできません。それは不可能なのです。義を作り出す能力を私たちは持っておりません。
 義とはなんでしょう。神様は義なるお方ですね。イエス・キリストご自身も義なるお方です。信仰によって私たちは、神様の義を受け入れるのです。そして、イエス・キリストご自身が義なるお方でありますから、イエス・キリストが提供される義を私たちが受け入れ、心のうちに取り入れた義のうちに生きるのです。そうするときに、私たちの人生において、イエス・キリストが力を発揮することがおできになるのです。