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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第12回 デイビット・カン

2017年10月09日 | 日記

このような悪霊の欺瞞に深く溺れる人たちを見ていると、私たち天使は次のような3つの共通点を発見しました。

 ❶ 彼らは“霊魂は不滅である”という教理を信じている。

 ❷ 彼は死者の魂を通して、霊界と接触しようと試みるため、奇跡と賜物に彼らの全関心が集中される。

 ❸ 彼らは自分たちが体験した奇跡と相反する内容の聖書の言葉を決して認めようとしない。

 ③.天使の忠告

真理に導かれて信仰の道を歩く人は、サタンの欺瞞に惑わされることはありません。偽りを真理と錯覚し、かたくなについて行く人たちを助けることはほぼ不可能です。そのため真理の中で真の信仰を維持する人たちだけが、天使の助けを受けて救われるのです。

 真のリバイバルは真の悔い改めから始まります。真の悔い改めを通して新しく生まれ変わったクリスチャンは、自分の欲望に身をゆだねません。彼らは主の足跡を探し、その道に沿って歩むことを決心します。彼らは主が清くあられたように、自分たちの生涯と品性が清くなることを願います。

 そのような人たちは、以前は憎んでいたものを、今は愛するようになり、以前は愛していたものを、今は憎むようになります。傲慢で自分の主張だけをしていた心は完全に変えられ、温和で謙虚となり、虚栄に浮かれていた心は着実で慎み深くなります。軟弱であった者が強健となり、酒豪だった者が酒を飲まなくなり、道楽が好きな者が端正で節制する者と変化し、この世で成功することや金儲けに興味がなくなります。忍耐と根気と犠牲を恐れず、むしろキリストのために非難と試練を受けることを特権と思い楽しみます。ですから、改革と生活の変化のない悔い改めは、本物ではありません。

 しかし、最近の教会の中で起きているリバイバルは、あまりにも奇妙な姿に変わってきています。多くの聖職者が、人々の好奇心を満足させるために、感情的で刺激的な方法を使っています。信徒の理性に訴えて、真理を教える代わりに、ムードを盛り上げ、没我的な陶酔感にひたらせることが信仰の喜びであるように思わせ、信徒の心を奪おうと努めています。

 預言者と使徒たちが築いてきた、真理の上に信徒たちの関心を集中させる代わりに、各種の賜物と奇跡を強調し、瞬間的な満足と、恍惚的な気分を高める感情的信仰を立てようとしています。それによって聖書の言葉に無知な羊たちは、真理の言葉に自我を屈服させ、忍耐と謙遜によって、キリストの犠牲的愛を分け与えるために生涯を捧げる代わりに、奇跡と賜物によって霊的な満足感と救いの確信を得ようと努めているのです。


Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第11回 デイビット・カン

2017年10月09日 | 日記

悪霊につかれた者たちは、ひどい苦痛を感じるという事実が、聖書に記録されています。しかし、例外的にそうでない人たちもいます。聖書は超自然的な能力を得るために、自らサタンに服従する人たちの話が出てきます。彼らは悪霊と戦って追い出すのではなく、悪霊を呼び出しその力によって行動する者たちです、たとえば、占う悪霊に憑依された者として、魔術師シモン(使徒行伝8:9)、魔術師エルマ(使徒行伝13:8)、ピリピでパウロとシラスの後を追った占いの霊につかれた女のような者たちです(使徒行伝16:16)。

 今日でも、進んで悪霊と交流しようとする人たちがいます。彼らはサタンと悪天使たちによって惑わされているにも関わらず、自身たちは善天使や、亡き家族や友人の魂と霊的に交流していると信じているため、死者の魂を装って現れる悪魔に、すべての問題を相談することとなるのです。

 聖書が悪魔や悪霊の正体を、サタンと悪天使だと指摘しているにも関わらず、ある人々は悪魔や悪霊が死者の魂だと信じています。聖書は、死者はよみがえる時まで、墓の中で眠りの状態で待っていると言っているにも関わらず、彼らは悪人が死ぬと悪霊となり、善人が死ぬと善天使となると思い込んでいます。だから、彼らはある人が悪霊、すなわち悪天使につかれたとき、悪天使を追い出してくれと祈る代わりに、死者の悪霊を追い出してくれと祈るのです。

時々、そのような彼らの祈りが通じ、奇跡的な癒しが起きるようなことがあります、それは神様の奇跡ではなく、悪魔の奇跡です。サタンはある人々に病を与え、病を治す奇跡を見せることで、人々の信心と信仰を自分の望む方向へ引き連れて行くのです。神様の奇跡は、聖書に記録されている真理の言葉と食い違う方法で決して起こりません。それなのに、ある人たちは自分の祈りによって神様の奇跡が起こったと思い込んで、感情的に浮かれ、その奇跡がどこから来たのかについては、まったく考えもしません。