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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第3回

2017年10月24日 | 日記

2、死刑宣告を受ける!?

 聖書の真理の中で、最も重要な救いに関する真理について考えてみましょう。多くの人が罪と救いについて感情的な教えをたくさん聞かされていますが、なぜ、罪の赦しには必ず血の犠牲が要求されたのかということなどは、聖書的な理由と論理を十分教えられていないのではないかと思われます。

皆さんは、皆さん自身が裁判官の前に立って、自分に死刑宣告が下されることになる恐ろしい光景を想像できますか?神様のみ言葉が「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)と宣告する時、皆さんは罪責感と恐れを感じられるのではないでしょうか。ではなぜ、恐れや罪責感がありますか?なぜなら、それは「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなって」(ローマ3:23)いるからです。

 聖書にはとても明確に語られているので、誰もその意味を誤解することはありません。「すべての人」という言葉は、田中さんも、木村さんも、山田さんも、鈴木さんも、皆さんの名前が、その中に必ず含まれているという意味です。つまり驚くべき事実は、聖書によれば、皆さん一人ひとりが死刑宣告の下にあるという意味なのです。皆さんは神様の律法によって裁かれ、有罪判決を受けているのです!しかも、この裁判は神様の裁きで絶対に間違いがないために、皆さんが受けた有罪判決をくつがえすための控訴審はないのです。

事実において、罪自体が悪であるがゆえに、罪を犯した皆さんは悪なる罪人です。第Ⅰヨハネ3章4節では「罪は不法(神様の律法を犯すこと)である」と罪の定義がなされています。全ての国家において、その国の法律を犯すことは犯罪であるように、神様の法律である十戒を犯した人は、すべて罪人として裁かれなければなりません。