B.霊を見分けるクリスチャンにならなければならない!
①.聖霊の賜物は感情とは関係ない!
聖霊を受けたことの証拠は、私たちの感情や感覚とは全く別のものです。ある人々は聖霊を受けた証拠として感情の高まりを期待しますが、聖書はむしろ聖霊の働きを次のように説明しています。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」(ヨハ ネ3:8)。
私たちは風そのものを見ることは出来ませんが、風が何をしたかは分かります。たとえ私たちが聖霊を見ることが出来ないとしても、それが、私たちが神様の子でないという証拠にはなりません。私たちは神様の聖霊が心にあるとき、それを見ることは出来ませんが、その方は静かに私たちに新しい生命を持って来てくださいます。たとえ私たちが聖霊を見たり触ったり出来なくても、その方がしてくださったことは見ることが出来ます。もし私たちの心が、聖霊によって変化するのであれば、私たちの生涯に聖霊が臨まれた証拠となるのです。
私たちが神様の霊を受けたとき、私たちは恍惚的な刺激的な興奮状態になるのではなく、むしろ落ち着きとバランスのとれた判断力を持ち、キリストの福音を宣べ伝えることに生涯を捧げることとなるでしょう。イエス・キリストの生涯と働きを考えてみましょう。キリストのように聖霊で満ちあふれている方は他にいませんでした。しかしキリストの生涯は、感情的な歓喜や興奮で満ちあふれたものではありませんでした。むしろ犠牲と奉仕に貫かれた生涯でした。キリストは罪と不義を拒絶し、病人や貧しい人を助けるために心を砕く人生を送られました。