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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第9回

2017年10月30日 | 日記

一人の殺人者が死刑宣告を受けたと仮定します。死刑執行日を待つ間、彼は法律の下にあり、罪責感の中で、その日をおびえながら待つことになります。しかし死刑が実行される一日前に、大統領がこの囚人の罪状を再検討した結果、恩赦を与える事にしたと考えてみましょう。大統領が情状酌量して、自分の権限によってその囚人を完全に釈放しました。赦された囚人は、今はもう、法律の下にあるのではなく、恵みの下にあるようになりました。法律は二度と彼を罪に定めることはできません。彼は法律の告発に対して、完全に罪と定められることはなくなり、義人となりました。彼は監獄から自由に歩いて出ることが出来るようになり、どんな警官も彼を逮捕することはできません。

 

ところで、彼が恵みの下にあってこれ以上法律の下にはいないからと言って、思い通りに法律を破っても良いでしょうか?絶対そのようなことはありません!彼には大統領の恵みを受け赦された者として、もっと良く法律を順守する心と義務が生じるようになるのです。感謝と愛の心で、彼は自分に恵みを施してくれたその国家の法律に喜んで従うようになり、尊重することでしょう。まさしくこのようなことが聖書の教えではないでしょうか。

「すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである」(ローマ3:31)。ここにすべての問題に対する正確な答えがあります。パウロは、「クリスチャンはキリストの救いの恵みを信じるゆえに、律法を不必要なものとして廃棄してしまうのか?」と、私たちへ質問を投げかけています。そしてその質問に対して、彼は自ら答えて、「恵みによって救われたクリスチャンは、心に律法が書き記され、愛と感謝と自由な心で律法に従い、それによって律法を確立するのだ」と言うのです。

 

この真理は非常に単純で明快であるため、再度説明する必要はないのですが、神様に素直に服従したくない人々が、巧妙な偽りの理論を持ち出してきて心の定まらない人々を惑わしているために、もう一度この問題を強調する必要があると思います。

皆さんは速度違反をして警察に捕まったことがありますか?警官が反則キップを書いている時に、あなたが、本当に急いでいた事情があったことを説得力を持って警官に訴えたとします。すると警官は、書いていた報告書をゆっくり畳んで破りました。そしてのように言います。「分かりました、今回だけは赦す事にします。しかし、・・・」。ここでこの警官が言う「しかし」という言葉の次には、どんな言葉が出てくるでしょう。言うまでもなく「しかし、再び速度違反をしてはなりません」ということです?警官のこのような赦し(恵み)は、皆さんに法律に違反しても良いという道を開いてくれましたか?そうではなく、二度と法律に違反しないという強い決心をうながすのです。

このように、赦されたクリスチャンが、どうして神様の律法に従わなくても大丈夫だなどと言えるのでしょうか。クリスチャンは、イエス様の十字架の血によって自分たちの罪が赦されたことを知っているので、なおさら、二度と罪を犯したくないと思うのです。

 

イエス様は言われました。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)。もし、皆さんが真心からキリストを愛するなら、キリストが言われた真理の通りに生きたいと思われるのではないでしょうか。