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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第16回 デイビット・カン

2017年10月13日 | 日記

それでは聖書は、霊を検証する判断基準としてどのようなことを教えているでしょうか。神様のお言葉には次のような5つの聖句が掲げられています。

  「おしえとあかしに尋ねなければならない。もしこのことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない」(イザヤ 8:19,20:新改訳)。

 聖霊の賜物を真に受けた人は、神様の教えに従う人生を生き、言行が聖書の教えに一致していなければなりません。聖書の真理を正しく理解し、“教とあかし”に従う人生を生きるクリスチャンは、神様の霊の支配を受けていると言えます。

 ⅱ 「平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」(エレミヤ 28:9)。

 ある人が預言する賜物を受けたら、彼の預言が正確に成就しなければなりません。

 ⅲ 「あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」(マタ イ7:20)。

 ある人が聖霊の賜物を受けたとすれば、彼の品性はキリストの福音を伝える代表者として立てるほど、豊かな聖霊の実が実っていなければなりません。家庭で夫婦喧嘩をして、子供たちにイライラし、金銭問題において利己的だったり、正直さを欠いていたりしている人が、異言を語り、病を治していたりしたら、私たちはそれを天から来た賜物と思えるでしょうか?そのような人がキリストの福音を伝えるなら、彼をよく知っている家族や周りの人たちに、どんな感化を与えることが出来るでしょうか?おそらく人々は、彼が持っている二面性を見て、神様の福音に対して違和感を持つことでしょう。神様がそのような人に聖霊の賜物を与え、福音を伝える働きを任されるでしょうか?そのような人は、自分が悪の霊を受けたかもしれない可能性について、真剣に考えてみなければなりません。

 天は神聖な聖霊の賜物を受ける準備が出来た人たちにだけ、この偉大なプレゼントを与えられるのです。罪を憎み義を愛する新しい心を受けておらず、利己的で自分を高める心を持っている人に、天の偉大な能力がゆだねられたなら、福音伝道事業にどんな混乱と危険がついてまわるか考えてみてください。

 ⅳ 「あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている」(Ⅰヨハ 4:2,3)。

 キリストがこの地に、私たちのような肉体で来てくださり、試練と苦痛の中で勝利されたように、真のクリスチャンたちもキリストを模範にして、罪と試練に勝利できるという信仰が、霊を見分ける重要な基準となります。聖霊の賜物を体験するクリスチャンなら、当然罪と誘惑に勝利する生涯を生きなければならず、そのような教えを信じて受け入れる人でなければなりません。聖なる生涯を生きるクリスチャンにだけ偉大な天のプレゼントが与えられるのです。

 ⅴ 「その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」(黙示録 14:11,12)。

 使徒ヨハネも、先のイザヤが言った霊の区別法(イザヤ8:20)に同意しています。最後の時代に、獣の刻印を受けずに、困難を通過してくる真のクリスチャンたちに関する啓示を見せられ、使徒ヨハネは彼らの姿を「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒」たちと表現しています。ですから、最後の時代にはその人が“神の戒めを守り、イエスの信仰を持っている”人であるかどうかは、霊を見分ける明確な基準となります。