③.奇跡は救いの証拠ではない!
ある奇跡や賜物が、クリスチャンの信心と救いを確証する証拠や基準として判断されてはいけません。奇跡を行い経験した人たちの中にも、結果的には神様に対する不従順と反逆的な人生を送ったことにより、滅亡した例を聖書でからいくらでも見つけることが出来ます。しかし、多くの場合において、私たちは誰にどんな賜物が見られるかによって、お互いの霊的状態を判断するという間違いを犯しています。
それでは、私たちの信仰と霊的状態を判断する基準は何でしょうか?イエス・キリストがお決めになった基準を見てみましょう。イエス様は、「あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」と言われました(マタイ 7:20)。そしてこの実は、聖霊の実であり、それは「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」であると聖書に記録されています(ガラテヤ 5:22,23)。
④.霊を見分ける5つの方法
クリスチャンが聖霊の賜物を求める時、忘れてはならないことがあります。聖書は最後の時代にサタンが、真理に堅く錨を降ろしていない人たちを混乱させるために、聖霊の働きを偽装すると警告しています。最後の時代に現れるサタンの活動は、「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議」で特徴づけられると聖書は言っています(Ⅱテサロニケ 2:9)。
サタンの活動が非常に欺瞞的な理由は、「キリストの使徒に擬装」し、「サタンも光の天使に擬装」するためです(Ⅱコリント 11:13,14)。その欺瞞があまりにも本物らしく、驚くべきものであるため、聖書は「選民をも惑わそうとするであろう」と警告しています(マタイ 24:24)。
このような言葉は、聖霊の賜物を追い求める教会や聖職者たちを、すべて避けなければならないということを意味するでしょうか。違います。この言葉は、全ての教会と全ての宗教的体験、そして全ての奇跡を、神様の御言葉によって検証しなければならないという意味です。パウロが言った通り、「すべてのものを識別して、良いものを守る」ためです(Ⅰテサロニケ 5:21)。この問題について使徒ヨハネが私たちに警告した他の言葉を見てみましょう。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである」(Ⅰヨハ ネ4:1)。