ひまわりさんより(4月25日)
今日は、訪問看護の途中で、ある牧場の横を通ったら、八重桜が満開でした。
少しだけ遠回りをして、その牧場の中を通る道を入っていくと、上の方も回りも、大きな八重桜に囲まれて、
まるで桜の森の中に来たようでした。
こんなに感動的で美しい花を与えてくださった神様って、本当に愛の深い方だなあと思いました。
そして、今日は咲いていても、数日後には枯れてしまう花でさえ、こんなに装って下さる神様なら、
私たちの品性を美しく造り変えてくださらないはずはないと確信しました。
最後まで耐え忍ぶ者の救い(デビット・カン講演32)
イエス様は、これは産みの苦しみのはじめ、悲しみのはじめであると言われました。
これはどういう意味イでしょうか。イエス様の言葉から読んでみましょう。
マタイ24章9節から14節までです。「そのとき人々はあなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。
またあなたがたは、わたし名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。
すべての国々から、クリスチャンが憎まれるということが、かつて地球の歴史にあったでしょうか。
今までにはありません。過去には起こっていません。こういったことは日曜休業令の時に実現するのです。
日曜休業令の前に、世界の宗教が一致する、一つになるという現象が起こります。
国々も一つになります。経済も一つになります。それから日曜休業令です。
その時私たちクリスチャンは、安息日クリスチャンは全ての国から憎まれるようになります。
これは未来のことを言ってるわけです。
ここでイエス様は何について述べておられるでしょうか。
まず飢饉、災害、地震があちらこちらで同時に起こるということ。次は何ですか。
日曜休業令です。その時私たちはすべての国々から憎まれるようになります
。しかしイエス様は言われました。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と。
私たちには忍耐、我慢が必要なのです。次に何でしょうか。
「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。
そしてそれから最後がくるのである」。