2017年11月20日(月)-1
可能的最小論(ミニマリズム)あるいは、縮小社会における文化的生活費全員支給への道
事務的な人件費を縮小する。つまり、税負担を削減する。
(1%的大金持ちさんたちを除く)みんなが喜び幸福になれる道は、
文化的生活費全員支給
である。
下記は、某氏のフィスブックへ挿入して(=介入して)、挿入DNA化させたものです。
「ミニマリズム」で、脱線してみよう。
『ミニマリズム』の図録(和歌山の人が寄贈)が、まちライブラリー@もりのみやキューズモールにあって、借り出したことがあるが、読了しなかった。それはさておき。
「美術の世界にも遊びとしか言えない作品も多くある。例えばデミアン・ハーストには一九九三年作の『母と子、分断されて』と題されたものがある。〔略〕これはこんな奇抜なことでもしてみたら、というおもしろ半分の結果であるとしか判断できない。つまり遊びの作品である。」(北原惇 2009/3、173頁)。
「日本文化は伝統的に簡潔さ、短さを重んじ、俳句は短いにもかかわらずその表現力は素晴らしい。立派な俳句は創作であり、短いために逆に美的体験の効果が素晴らしくなる場合さえある。日本で一般に『子犬のワルツ』の名で知られているショパンの曲は西洋では『一分間のワルツ』と呼ばれていて、この名前の通り、演奏するのに大体一分程度しか必要としないが、この場合にも美的体験にはすばらしいものがある。」(北原惇 2009/3、174頁)。
ミニマリズムまでもう少し。
「作曲家によっては完全に失敗してしまっている。エリック・サティはよい例である。ある音楽会で、サティは聴衆に向かって、演奏されている自分の曲を〔後略。各自読んでネ、むっちゃダメよ。〕」(北原惇 2009/3、173頁)。
[北原惇氏はけなしているみたいだが、サティのこの行為 act, action は、演為芸術 performance art、介入芸術 intervening art、見てくれ芸術(新属新称) appearance art, outward show art、見てくれ/聴いてネ芸術(新属新称) watch-me art, see-what art、てなものの先駆じゃない?。]
「広い意味での現代の音楽と美術を眺めてみると、明らかに観察される現象がある。それは創作ではない単なる演技、さらには探査をしているだけ、という傾向である。つまり本書の定義からすれば芸術ではなく、それ以前〔→それより前〕の段階の刺激探索行動をしているだけ、ということになる。特に探査の傾向が明らかに見られる。」(北原惇 2009/3、179頁)。
「現代音楽には探査としか見なすことができない作品が数多くある。新しい芸術作品を作り出すのに誰でもが考えつく方法は、伝統を批判したり拒否したりすることによって別の出発点を発見することである。これはすでにロマン派、印象主義、表現主義などの作曲家たちが実行してきた。それは古典主義を拒否することであった。」(北原惇 2009/3、180頁)。
ミニマリズムまでもうチョチョイ、のチョイ。[← 繰り返し畳み込み的ですが、ここでは、否-千田光的または否-児玉實用的に用いました。][こみの部分は、少しだけですが〈]
「バランスを強調するのは曲が単調になることを回避するために変化をつけること、それと同時に木に竹を継いだような違和感を感じさせてはいけないため、ある程度の均一感を保持すること、という二種類の心理的配慮にもとづくためである。
このバランスの必要性を拒否することは探査であり、その一方法は音楽を単調にしてしまうことである。ミニマリズムという作曲方法があるが、この手法では短いフレーズが何度となく繰り返される。同じ単調なリズムも繰り返される。長く保持された音も演奏され、単調さを前面に出すことが目的である。
ラベルの『ボレロ』は二つの長い旋律を繰り返し十五分ほど続ける曲で、これは一見ミニマリズムの発想のようにも思えるが現実はそうではない。ラベルは巧みな管弦楽法の手腕によって絶えず音色を変えている。有名な個所は木管楽器でハ長調、〔[介入芸術するぞ、]徒歩、トホ〕ホ長調、ト長調で同時にこの旋律を演奏するところであろう。この手法によって特異な音色を作りだすことに成功しており、最初から最後までクレッシェンドで進める発想とともに、ミニマリズムなどとは比較にならない芸術である。」
(北原惇 2009/3、181頁)。
+++ 引用文献 ++++
北原惇.2009/3/23.現代音楽と現代美術にいたる歴史 動物学と脳科学から見た芸術論.227pp.花伝社.[2,000円+天下の悪税=2,160円][B20140411、769+0=769円amz][Rh20140619]
出ました、ミニマリズム。よかったよかった、ホホっト安堵の吐息、桃色吐息。[←綴り変換え化 anagramization 可能です。]
( 「一見〔略〕のようにも思える」=「に見えるが」だから、出なかった?。)
結論、または、2017年11月20日(月)、風間虹樹の本日製造の格言。
《みんなで渡ろう、文化的生活費全員支給への道。》
解題。貨幣はほとんど無から作られる。
したがって、ほとんど労苦無くして、全員に文化的生活費を風船や空中タクシーで出前することができる。
(証明完了)
可能的最小論(ミニマリズム)あるいは、縮小社会における文化的生活費全員支給への道
事務的な人件費を縮小する。つまり、税負担を削減する。
(1%的大金持ちさんたちを除く)みんなが喜び幸福になれる道は、
文化的生活費全員支給
である。
下記は、某氏のフィスブックへ挿入して(=介入して)、挿入DNA化させたものです。
「ミニマリズム」で、脱線してみよう。
『ミニマリズム』の図録(和歌山の人が寄贈)が、まちライブラリー@もりのみやキューズモールにあって、借り出したことがあるが、読了しなかった。それはさておき。
「美術の世界にも遊びとしか言えない作品も多くある。例えばデミアン・ハーストには一九九三年作の『母と子、分断されて』と題されたものがある。〔略〕これはこんな奇抜なことでもしてみたら、というおもしろ半分の結果であるとしか判断できない。つまり遊びの作品である。」(北原惇 2009/3、173頁)。
「日本文化は伝統的に簡潔さ、短さを重んじ、俳句は短いにもかかわらずその表現力は素晴らしい。立派な俳句は創作であり、短いために逆に美的体験の効果が素晴らしくなる場合さえある。日本で一般に『子犬のワルツ』の名で知られているショパンの曲は西洋では『一分間のワルツ』と呼ばれていて、この名前の通り、演奏するのに大体一分程度しか必要としないが、この場合にも美的体験にはすばらしいものがある。」(北原惇 2009/3、174頁)。
ミニマリズムまでもう少し。
「作曲家によっては完全に失敗してしまっている。エリック・サティはよい例である。ある音楽会で、サティは聴衆に向かって、演奏されている自分の曲を〔後略。各自読んでネ、むっちゃダメよ。〕」(北原惇 2009/3、173頁)。
[北原惇氏はけなしているみたいだが、サティのこの行為 act, action は、演為芸術 performance art、介入芸術 intervening art、見てくれ芸術(新属新称) appearance art, outward show art、見てくれ/聴いてネ芸術(新属新称) watch-me art, see-what art、てなものの先駆じゃない?。]
「広い意味での現代の音楽と美術を眺めてみると、明らかに観察される現象がある。それは創作ではない単なる演技、さらには探査をしているだけ、という傾向である。つまり本書の定義からすれば芸術ではなく、それ以前〔→それより前〕の段階の刺激探索行動をしているだけ、ということになる。特に探査の傾向が明らかに見られる。」(北原惇 2009/3、179頁)。
「現代音楽には探査としか見なすことができない作品が数多くある。新しい芸術作品を作り出すのに誰でもが考えつく方法は、伝統を批判したり拒否したりすることによって別の出発点を発見することである。これはすでにロマン派、印象主義、表現主義などの作曲家たちが実行してきた。それは古典主義を拒否することであった。」(北原惇 2009/3、180頁)。
ミニマリズムまでもうチョチョイ、のチョイ。[← 繰り返し畳み込み的ですが、ここでは、否-千田光的または否-児玉實用的に用いました。][こみの部分は、少しだけですが〈]
「バランスを強調するのは曲が単調になることを回避するために変化をつけること、それと同時に木に竹を継いだような違和感を感じさせてはいけないため、ある程度の均一感を保持すること、という二種類の心理的配慮にもとづくためである。
このバランスの必要性を拒否することは探査であり、その一方法は音楽を単調にしてしまうことである。ミニマリズムという作曲方法があるが、この手法では短いフレーズが何度となく繰り返される。同じ単調なリズムも繰り返される。長く保持された音も演奏され、単調さを前面に出すことが目的である。
ラベルの『ボレロ』は二つの長い旋律を繰り返し十五分ほど続ける曲で、これは一見ミニマリズムの発想のようにも思えるが現実はそうではない。ラベルは巧みな管弦楽法の手腕によって絶えず音色を変えている。有名な個所は木管楽器でハ長調、〔[介入芸術するぞ、]徒歩、トホ〕ホ長調、ト長調で同時にこの旋律を演奏するところであろう。この手法によって特異な音色を作りだすことに成功しており、最初から最後までクレッシェンドで進める発想とともに、ミニマリズムなどとは比較にならない芸術である。」
(北原惇 2009/3、181頁)。
+++ 引用文献 ++++
北原惇.2009/3/23.現代音楽と現代美術にいたる歴史 動物学と脳科学から見た芸術論.227pp.花伝社.[2,000円+天下の悪税=2,160円][B20140411、769+0=769円amz][Rh20140619]
出ました、ミニマリズム。よかったよかった、ホホっト安堵の吐息、桃色吐息。[←綴り変換え化 anagramization 可能です。]
( 「一見〔略〕のようにも思える」=「に見えるが」だから、出なかった?。)
結論、または、2017年11月20日(月)、風間虹樹の本日製造の格言。
《みんなで渡ろう、文化的生活費全員支給への道。》
解題。貨幣はほとんど無から作られる。
したがって、ほとんど労苦無くして、全員に文化的生活費を風船や空中タクシーで出前することができる。
(証明完了)