平成21年7月の旅行記である
「鳥取砂丘」に始まり「三仏寺」参拝後に、今日紹介する大山寺に来ている
この頃の旅は日の出と共に行動し、夕暮れ時まで最低3ヶ所以上巡るという忙しい内容のものである
大山寺を訪れるのは初めてであるが、道路からの眺めもよく所々細い道もあり霊場を目指しているという感じにもなれる
大山寺
伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。本尊は地蔵菩薩
雨が降りそうな天気であったが、傘も持たずに駐車場から石段を上がり本堂へ

途中、山号と大山寺と刻まれた石碑がある

本堂
奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に金蓮上人が草庵をむすび地蔵菩薩を祀ったことが起源

西日本に於ける天台宗の一大拠点となり、座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった

廃仏毀釈により大山寺の号が廃され、大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した
これにより大山寺は急激に衰退した
明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した
昭和3年(1928)には4度の火災に見舞われ、昭和26年(1951)に再建された

護摩堂
御本尊不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたく

戸の隙間から堂内を見る

鐘楼
「開運鐘」と記載されている
この鐘を撞いたかどうか記憶にないが運がないので「ついてない」と思う

さて、この写真もどこで撮ったのか記憶にない

外では雨が強く降り始め、大山寺の宝物館になっている「霊宝閣」で雨宿り
重文の観音像四躰・鉄製厨子をはじめ多数の仏像などが展示されていた
ここの担当の女性はとても親切で、閉館時間をこえていたが「雨が止むまでいてもいいですよ」と言ってくれた

大山寺といえば「阿弥陀堂(重文)」が有名であるが、拝観には予約が必要で拝観料は3000円よりとなっている
雨のため境内を廻ることができず、今写真を見ても枚数も極端に少ない。これからは「悔いは残さない」という人生を目指しているので今年の旅行の候補地にしたい
撮影 平成21年7月29日
「鳥取砂丘」に始まり「三仏寺」参拝後に、今日紹介する大山寺に来ている
この頃の旅は日の出と共に行動し、夕暮れ時まで最低3ヶ所以上巡るという忙しい内容のものである
大山寺を訪れるのは初めてであるが、道路からの眺めもよく所々細い道もあり霊場を目指しているという感じにもなれる
大山寺
伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。本尊は地蔵菩薩
雨が降りそうな天気であったが、傘も持たずに駐車場から石段を上がり本堂へ

途中、山号と大山寺と刻まれた石碑がある

本堂
奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に金蓮上人が草庵をむすび地蔵菩薩を祀ったことが起源

西日本に於ける天台宗の一大拠点となり、座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった

廃仏毀釈により大山寺の号が廃され、大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した
これにより大山寺は急激に衰退した
明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した
昭和3年(1928)には4度の火災に見舞われ、昭和26年(1951)に再建された

護摩堂
御本尊不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたく

戸の隙間から堂内を見る

鐘楼
「開運鐘」と記載されている
この鐘を撞いたかどうか記憶にないが運がないので「ついてない」と思う

さて、この写真もどこで撮ったのか記憶にない

外では雨が強く降り始め、大山寺の宝物館になっている「霊宝閣」で雨宿り
重文の観音像四躰・鉄製厨子をはじめ多数の仏像などが展示されていた
ここの担当の女性はとても親切で、閉館時間をこえていたが「雨が止むまでいてもいいですよ」と言ってくれた

大山寺といえば「阿弥陀堂(重文)」が有名であるが、拝観には予約が必要で拝観料は3000円よりとなっている
雨のため境内を廻ることができず、今写真を見ても枚数も極端に少ない。これからは「悔いは残さない」という人生を目指しているので今年の旅行の候補地にしたい
撮影 平成21年7月29日