今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松江城<千鳥城>( 島根県松江市殿町)

2014年03月07日 | 
山陰地方を訪れたのは今回(H21.7月)が初めてだが、親切な人が多く居心地がよい
松江城近くの駐車場の男性も「札幌」ナンバーを見て「遠くからよく来てくれた」と歓迎されたようないい気分になった

松江城<千鳥城>(重要文化財)
気持ちよく駐車場から松江城に向かう。途中、石垣の奥に天守閣が見えてきた



登閣料を納め城を眺める。1935年(昭和10年)「国宝保存法」により国宝に指定されたが、1950年(昭和25年)5月文化財保護法制定により、「重要文化財」となる



亀田山に1607年(慶長12年)から5年の歳月をかけ築城
1611年(慶長16年)に竣工。完成数カ月前に堀尾吉晴公死去(69歳)
孫の三之助(忠晴)(13歳)が城主となる



廃城令により、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された
天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった



「松江のシンボル松江城は、全国で現存する12天守のうちのひとつで、唯一の正統天守閣ともいわれている



人柱伝説:天守台の石垣が何度も崩れ落ち、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た
そこで、盆踊りを開催し、最も美しく、踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという
石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった
人々は娘の無念のたたりであると恐れたため、天守は荒れて放置された
その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る
また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった



石垣積は、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要した
松江城は5年間で完成したが、そのうちの3年間を石垣に費やされた



興雲閣
松江城内に1903年(明治36年)に明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館 



日本の大工が欧米の建築を見よう見まねで建てたという擬洋風建築で、洋風スタイルの中に和の要素が織り込まれている
当時は「ロシア宮殿風」といわれ、迎賓館や博覧会場として使用されていた



松江城周辺には、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷の各施設があるが、5年前のこの日は、この後に一畑薬師、出雲大社、石見銀山を訪れていて、つまみ食いのような観光をしている

帰り際に撮った写真



駐車場に戻ると「いい物をあげようかな」と係の男性が笑顔で話しかけてきた
数回子どものようなやりとりの会話があり手に入れた「いい物」は松江市内の観光マップが書かれている「うちわ」であった
「使わないけどもらっていくわ」互いに笑顔で手を振りながら別れた  


撮影 平成21年7月30日
コメント (2)
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