訪問日 令和3年11月10日
海光山 慈照院 長谷寺
山門
大きな提灯と「門かぶりの松」
親柱は直径40cmもある四脚門
鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさ
境内図
長谷寺は2回目であるが、初回は時間の関係で駆け足で回った
今回は時間に余裕がある
千体地蔵
地蔵堂
子安・繁栄のご利益の「福壽地蔵」が祀られている
小高い場所にある観音堂近くで休憩することにした
見晴台
鎌倉の街並みと由比ヶ浜、遠く三浦半島まで見渡せる眺望は鎌倉随一と評されるという……
私自身はこちらの眺めの方が感動する
仏足石
経蔵(輪蔵)
内部の回転式書架を「輪蔵」という
書架を一回転させることで一切経を読誦した功徳が得られる
良縁地蔵
三体連なっている地蔵が境内に三カ所あるらしい
観音堂
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山した
養老5年(721年)に徳道は大和国の山中で見つけた楠の大木から二体の十一面観音を造り、その一体(本)が大和長谷寺の観音像となり、もう一体(末)を祈請の上で海に流した
その15年後に三浦半島の長井浦に流れ着きいた観音像を鎌倉に安置して開いたのが、長谷寺であるとされる
阿弥陀堂
「厄除阿弥陀如来」と呼ばれている
「鎌倉六阿弥陀」の一つに数えられている
阿弥陀如来坐像は、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したもの(伝承)
実際の制作は室町時代とされ、長谷にあった誓願寺(廃寺)の本尊
鐘楼
重要文化財の梵鐘(宝物館収蔵)は文永元年(1264年)鋳造の銘を持つ
かきがら稲荷
伝承として、本尊が海中を漂流していた際、その御尊体にかきがら(貝)が付着
漂う尊像を長井浦へお導きしたという話が伝えられている
その「かきがら」を珍重し、祀っている
卍池
大黒堂
弁天堂
寺伝によれば当山の八臂の弁財天像は、弘法大師が廻国修行の折、当山の岩窟に参籠し感得して自ら刻まれた尊像といわれいる
江戸時代には「出世弁財天」の名で世に知られていた
現在その尊像は宝物館に収蔵されている(通常非公開)
この本尊に代わり、堂内には「福徳弁才天」が祀られている
弁天窟
子供達の楽しそうな声は聞こえているが、その姿が見あたらない
探してみると(境内図にない)洞窟があった
中に入って吃驚
弘法大師参籠の地と伝わる洞窟
調べて見ると窟内壁面には、弁財天とその眷属である十六童子が彫られているという
善財童子(乙護童子)
計升童子(悪女童子)
肉眼では暗くてよく見えないがレンズを通すとその姿を見ることができる
9月末に購入したミラーレスカメラの実力が試されるところだ
衣裳童子(除哂童子)
筆硯童子(香精童子)
酒泉童子(密跡童子)
牛馬童子(膸令童子)
稲籾童子(大神童子)
飯櫃童子(質月童子)
金財童子(召請童子)
船車童子(光明童子)
印鑰童子(麝香童子)
弁財天
官帯童子(赤音童子)
従者童子(施無畏童子)
愛慶童子(施願童子)
全部撮ったつもりでいたが、2つの童子が欠けていた
養老5年(721年)に徳道が楠の大木から二体の十一面観音を造ってから1300年となる
撮影日 令和3年11月10日
昨年9月以降 途絶えていたブログ復活 久々の 再開 嬉しいです(´∀`*)
記事は昨年11月 秋 鎌倉市から始まった車旅の様子 これから楽しみにしております。
この鎌倉の長谷寺 3年前に坂東三十三観音参りツアーの初日 新幹線で横浜駅下車して お参りしたお寺、 沢山の写真 懐かしく思い出しながら拝見させていただきましたわ(´∀`*)
今回投稿した、昨年11月の写真ですが、実は車旅ではないのです。航空機を利用し千葉県で用事を済ませた後、延泊して訪れたときのものです。
新たな車旅は5月10日に苫小牧港を出港して12日に名古屋港に到着してから始まります。
何処に行くかは本人も分かっていないといういつもの旅です。時間がありましたらご覧下さい。