訪問日 令和6年5月23日
美作総社宮(正式名称:総社)
カーナビでは案内された場所には何も無く、Googleナビでは不安になるような狭い道を案内された
何とか社殿の傍にある駐車スペースに駐めることができた
参道
遠くに鳥居が見えるので、こちらが参道になる
本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた
初めて訪れる神社で駐車場を含め、何処に何があるのか全く分かっていない
手水舎
拝殿
「総社」という名の神社にはこれまで訪れたことがない
調べて見ると、古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた
これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した「総社」を設け、まとめて祭祀を行うようになった
当社はそのうちの美作国の総社にあたる
「中山神社・高野神社」と並ぶ美作三社の1つであり、美作65郷912社を合祀している
本殿(重要文化財)
社伝によれば、創建は、欽明天皇25年(564年)に現在地より約1km西にある本館に大己貴命を祀ったのが始まりという
奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える
額には最初の二文字ははっきりしないが「一位総社大明神」と読める
主祭神:大巳貴命(おおなむちのみこと)=大国主命
相殿神:中山神社(美作国一宮)祭神:鏡作命 (かがみつくりのみこと)
高野神社(美作国二宮)祭神:鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)
美作国内の神
本殿は、戦国時代の永禄5年(1562年)毛利元就が戦勝の記念として再建
江戸時代前期の明暦3年(1657年)に津山藩主森長継により大改修が行われた
御崎神社
荒神社
稲荷神社
天満宮
社殿の造りは、入母屋妻入りで向拝に千鳥破風を配した「中山造」という独特な様式を持つ
規模も豪壮で華麗な彫刻を豊富に配置した桃山時代の優れた建造物
全国の総社の内で当社のみが大正3年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている
拝殿側面
撮影 令和6年5月23日
美作総社宮(正式名称:総社)
カーナビでは案内された場所には何も無く、Googleナビでは不安になるような狭い道を案内された
何とか社殿の傍にある駐車スペースに駐めることができた
参道
遠くに鳥居が見えるので、こちらが参道になる
本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた
初めて訪れる神社で駐車場を含め、何処に何があるのか全く分かっていない
手水舎
拝殿
「総社」という名の神社にはこれまで訪れたことがない
調べて見ると、古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた
これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した「総社」を設け、まとめて祭祀を行うようになった
当社はそのうちの美作国の総社にあたる
「中山神社・高野神社」と並ぶ美作三社の1つであり、美作65郷912社を合祀している
本殿(重要文化財)
社伝によれば、創建は、欽明天皇25年(564年)に現在地より約1km西にある本館に大己貴命を祀ったのが始まりという
奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える
額には最初の二文字ははっきりしないが「一位総社大明神」と読める
主祭神:大巳貴命(おおなむちのみこと)=大国主命
相殿神:中山神社(美作国一宮)祭神:鏡作命 (かがみつくりのみこと)
高野神社(美作国二宮)祭神:鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)
美作国内の神
本殿は、戦国時代の永禄5年(1562年)毛利元就が戦勝の記念として再建
江戸時代前期の明暦3年(1657年)に津山藩主森長継により大改修が行われた
御崎神社
荒神社
稲荷神社
天満宮
社殿の造りは、入母屋妻入りで向拝に千鳥破風を配した「中山造」という独特な様式を持つ
規模も豪壮で華麗な彫刻を豊富に配置した桃山時代の優れた建造物
全国の総社の内で当社のみが大正3年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている
拝殿側面
撮影 令和6年5月23日