今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

乃木神社(栃木県那須塩原市石林)

2020年03月22日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年11月7日

乃木神社
明治期の軍人の乃木希典の名がついた神社である
「二百三高地」の映画と司馬遼太郎の小説を読んだ程度で知識はないが興味を持っていた



社号標と鳥居
乃木希典は、武人、教育者、また文人として多くの詩歌を遺している
「乃木大将」「乃木将軍」と親しまれ、東京乃木坂の地名の由来でもある



日露戦争における旅順攻囲戦では第三軍司令官として指揮を執った






手水舎



二つ目の鳥居から中に入る。七五三の祈祷を待つ家族連れが順番を待っている



神馬舎
皇太子時代の大正天皇から下賜された馬で「殿下」にちなんで殿号(しんがりごう)と名付けられた



殿号は別邸で亡くなり静子林に葬られた



生駒神社



碁盤の儀(七五三)
皇室に伝わる古い儀式で、碁盤の上に立ち地面に向かって降りる



世界の上にしっかりと立ち、碁盤の目のように筋目正しく美しく育つよう願いが込められている



「乃木希典像」



「細石(さざれ)石の巌」






宝物館
拝殿周辺には七五三詣での家族が数組いたので「宝物館」に入る



「乃木静子夫人肖像」
婚礼に際し将軍の「乃木家はすこぶる厳格な家である。もし多少なりとも気遣いの点があるのであれば、いっそ盃をせぬのがあなたのためだ。」との言葉に対し…



「いかような困難に遭いましても必ず辛抱致します」と応えられたと伝えられている



「乃木希典写真」






「忠孝の額面と国旗」



「軍服と外套」






「乃木将軍夫人静子像」






「東郷平八郎謹書 乃木神社」



辞世の和歌
明治45年7月30日明治天皇が崩御され、そのご大葬が行われた9月13日夜、ご夫妻は殉死を以て明治天皇のご聖恩に報いられた
自殉された部屋に遺された辞世の和歌で将軍最期の筆である

うつし世を 神さりましし 大君の 御あと慕ひて 我はゆくなり









乃木希典那須野旧宅(栃木県指定史跡)






1892年(明治25年)に乃木が自ら設計した、農家風造りの木造平屋建て別邸「乃木希典那須野旧宅」(乃木別邸)跡



乃木は明治25年、31年および34年から明治37年の間、この別邸に閑居し、農業に従事して休職の期間を過ごした



乃木別邸は1990年(平成2年)10月28日の不審火によって焼失し、乃木神社ではこれを過激派による放火であるとしている



その後1993年(平成5年)に復元されている


















「殿号厩」



「静沼」
元は乃木家の水田だったが戦後池として地元の憩いの場となっている



拝殿
御祭神:乃木希典命 配祀:乃木静子命






乃木夫妻は明治天皇崩御の後を追う形で殉死し、大正元年(1912年)9月18日に葬祭が執り行われた
住民は別邸前でその遥拝式を行い、式の終了後、乃木希典を祀る神社を創立しようという声が上がった
大正5年(1916年)4月13日に社殿が竣工、鎮座が行われた



青空がとても綺麗だ



撮影 令和元年11月7日

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