昨夜は道の駅「倶利伽羅源平の郷」にて宿泊、松尾芭蕉が奥の細道で峠を通ったと記憶していため気分を味合うつもりで選んだ。
このブログは旅行を終え、自宅にて撮影した写真を見ながら書いているが、今日のスタートとなる医王寺については、なぜそこに行ったのか、まったく思い出すことができなかった。
国分山 医王寺の歴史
聖武天皇の天平年間(729~748年)、僧行基が自ら薬師如来の尊像を刻み開基したと伝えられ、承平年間(931~937年)に兵火に焼かれ、温泉と共に荒廃したが、建久年間(1190~1198年)に至り、長谷部信連が温泉を再発見、この寺を再興した。
多宝塔など現在の建物は昭和初年の大火で消失後、昭和33年に再建されたもの。
京都の蛸薬師、出雲の一畑薬師とあわせて、日本三薬師の一つとしてもしられている。
山中節の一節に「東や松山、西や薬師」と唄われ、古くから温泉入湯客の心と身体のやすらぎの寺として親しまれている。
きれいに整備されている庭で「やすらぎの寺」の意味がよくわかる。
多宝塔
瀧不動(水不足なのか滝という感じではなかった)。瀧不動側は岩盤で石仏が各所に置かれている。
夫婦円満の石仏
撮影 平成25年5月13日
このブログは旅行を終え、自宅にて撮影した写真を見ながら書いているが、今日のスタートとなる医王寺については、なぜそこに行ったのか、まったく思い出すことができなかった。
国分山 医王寺の歴史
聖武天皇の天平年間(729~748年)、僧行基が自ら薬師如来の尊像を刻み開基したと伝えられ、承平年間(931~937年)に兵火に焼かれ、温泉と共に荒廃したが、建久年間(1190~1198年)に至り、長谷部信連が温泉を再発見、この寺を再興した。
多宝塔など現在の建物は昭和初年の大火で消失後、昭和33年に再建されたもの。
京都の蛸薬師、出雲の一畑薬師とあわせて、日本三薬師の一つとしてもしられている。
山中節の一節に「東や松山、西や薬師」と唄われ、古くから温泉入湯客の心と身体のやすらぎの寺として親しまれている。
きれいに整備されている庭で「やすらぎの寺」の意味がよくわかる。
多宝塔
瀧不動(水不足なのか滝という感じではなかった)。瀧不動側は岩盤で石仏が各所に置かれている。
夫婦円満の石仏
撮影 平成25年5月13日