大乗山宝池院 摩訶耶寺(まかやじ)
道の駅の情報で重要文化財の仏像があるということで訪れた
高麗門
駐車場から少し歩くと遠くに山門が見えてくる
家康が浜名湖に水城として築城した「野地城」の城門を山門として移築
門には山号と寺名が記されている
笠塔婆
正面と左右に六地像を彫っている。裏に元禄7年(1694)造立とある
西国三十三観音像
歴史(江戸初期1660年頃)を感じる像の中で比較的顔の形がわかるものを撮ってみた
くりからの滝
少し高いところから滝を眺めてみる。百観音巡礼(西国・板東・秩父)石仏が各所に点在している
津島神社
近藤用行公夫婦御廟
元亀4年(1573)武田信玄軍の兵火により旧地にあった諸堂が焼失
江戸時代になり、三ヶ日地方の領主なった近藤用行の力添えにより寛永9年(1632)に本堂再建
石灯籠
領主近藤用高が大目付に昇進したお礼として奉納。遠州地方の石灯籠では最古級
本堂
摩訶耶寺は、神亀3年(726)行基によって新達寺として開創
平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、マカヤ寺と呼ばれるようになった
現本堂は寛永9年(1632)年に建造。入母屋造、5間4面総欅
屋根には山号の「大乗山」、これまで多くの寺を訪れたが初めて見たかも知れない
彫刻も美しい
堂内は撮影可。格子天井には法橋関中の筆による極彩色の花鳥
仏像のみ撮影禁止のため掲載できないが不動明王と千手観音は重要文化財
間近で拝観できるため仏像が好きな私には大きな喜びとなった
「南無大師遍照金剛(弘法大師空海に帰依するという意味)」
本堂蛙股「飛天像」の彫刻
摩訶耶寺庭園
平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので、座視鑑賞式池泉庭
庭園の良さが理解できない自分が情けない
庭園を一周し本堂に戻る
撮影 平成29年5月12日
道の駅の情報で重要文化財の仏像があるということで訪れた
高麗門
駐車場から少し歩くと遠くに山門が見えてくる
家康が浜名湖に水城として築城した「野地城」の城門を山門として移築
門には山号と寺名が記されている
笠塔婆
正面と左右に六地像を彫っている。裏に元禄7年(1694)造立とある
西国三十三観音像
歴史(江戸初期1660年頃)を感じる像の中で比較的顔の形がわかるものを撮ってみた
くりからの滝
少し高いところから滝を眺めてみる。百観音巡礼(西国・板東・秩父)石仏が各所に点在している
津島神社
近藤用行公夫婦御廟
元亀4年(1573)武田信玄軍の兵火により旧地にあった諸堂が焼失
江戸時代になり、三ヶ日地方の領主なった近藤用行の力添えにより寛永9年(1632)に本堂再建
石灯籠
領主近藤用高が大目付に昇進したお礼として奉納。遠州地方の石灯籠では最古級
本堂
摩訶耶寺は、神亀3年(726)行基によって新達寺として開創
平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、マカヤ寺と呼ばれるようになった
現本堂は寛永9年(1632)年に建造。入母屋造、5間4面総欅
屋根には山号の「大乗山」、これまで多くの寺を訪れたが初めて見たかも知れない
彫刻も美しい
堂内は撮影可。格子天井には法橋関中の筆による極彩色の花鳥
仏像のみ撮影禁止のため掲載できないが不動明王と千手観音は重要文化財
間近で拝観できるため仏像が好きな私には大きな喜びとなった
「南無大師遍照金剛(弘法大師空海に帰依するという意味)」
本堂蛙股「飛天像」の彫刻
摩訶耶寺庭園
平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので、座視鑑賞式池泉庭
庭園の良さが理解できない自分が情けない
庭園を一周し本堂に戻る
撮影 平成29年5月12日
浜松市は先輩がいて何度も行きましたが、ここは三ヶ日ですか。三ヶ日には行ったことがありませんが後輩が三ヶ日みかんを送ってくれていたので名前だけは覚えています。このような処まで車を走らせるのですね。私にはとても不可能なことです。
庭園も素晴らしく綺麗です。この春の景色でしょうか。
くりからの滝は見事ですね。素晴らしい瞬間を撮影したと感銘します。
南無大師遍照金剛の像はとても美しく感じます。私の性悪な心を洗ってくれるような気がします。木像でしょうね。天井画は撮影も大変だったと思います。飛天像の彫刻は見飽きなかったと思います。
今日も素晴らしい写真を見せて頂きましてありがとうございました。
私自身も静岡県の寺院を訪れるのは初めてで、どのような寺なのか山門を見るまでは結構緊張感があります。
この寺は住職なのか不明ですが係の対応もよく、飛天像に光を当ててくれたりして堂内をゆっくり観ることがことができました。気に入っていただきました像ですがもしかしたら撮影禁止区域のものかも知れず不安になっています。(時々勝手に指が動くことがありますので…)