シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>5-2(関西地方)
京都府(仁和寺、神護寺、清凉寺、円隆寺<追加>、智恩寺、金剛院、淨瑠璃寺、岩船寺、
海住山寺、東寺、醍醐寺、穴太寺)
26 京都府
26-01 大内山 仁和寺(京都府京都市右京区御室大内)
五重塔(重要文化財)
寛永21年(1644)建立。塔身32.7m、総高36.18m
26-02 高雄山 神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)
<多宝塔>
26-03 五台山 清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
<多宝塔>
<一部追加>
26-04 慈恵山 円隆寺(京都府舞鶴市引土)
多宝塔(京都府指定文化財)
宝暦元年(1751年)の建立
三間多宝塔、本瓦葺
地元の大工・林田伝之丞房章などの手によるもの
多宝塔の亀腹を瓦葺にするなど独創的な建築として価値が高い
以前訪れた時、周囲の木々の枝が伸びすぎて建物が隠れてしまい、うまく撮ることができなかった
今回は光にも恵まれた感じがする
26-05 天橋山 智恩寺(京都府宮津市字文珠)
多宝塔(重要文化財)
明応9年(1500年)、府中城主 延永修理進が自分の病気全快を感謝し、一の宮の別当大聖院の智海に託して建立寄進したもの
26-06 鹿原山 慈恩寺 金剛院(京都府舞鶴市鹿原)
三重塔(重要文化財)
本尊の波切不動明王の力により白河天皇の病気が平癒されたことを喜び、荒廃していた当山を復興し三重の塔を建立、「慈恩寺」の寺号を下賜された
眞如親王像
平城天皇第3皇子、世の無常を感じ仏門に入り、法名を眞如と称し、弘法大師の十大弟子の一人として仏法の隆盛に尽くした
さらに法を求めて天竺に向かい、途中消息を絶った
26-07 小田原山 法雲院 淨瑠璃寺<九体寺>(京都府木津川市加茂町西小 札場)
三重塔(国宝)
「浄瑠璃寺流記事」によると治承2年(1178年)京都の一条大宮から移建したとある
どこの寺院にあったものかは不明である
浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された
26-08 高雄山 岩船寺(京都府木津川市加茂町岩船上ノ門)
三重塔(重要文化財)
三間三重塔婆の本瓦葺、高さは約18mで本堂南側山手の境内阿字池の奥まった高台に東を正面として建つ
寺伝によると「智泉大徳」入滅のあと10年が過ぎて、承和年間(834~847年)に仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで宝塔を建立した
承久三年(1221年)の承久の乱で兵火を被った
現存する塔は、室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立されたもの
29-09 補陀洛山 海住山寺(京都府木津川市加茂町例幣海住山境外)
五重塔(国宝)
全国に9塔ある国宝の塔の一つ(他は羽黒山、東寺、醍醐寺、法隆寺、興福寺、室生寺、明王院、瑠璃光寺)
鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい
貞慶が舎利を安置するために建立を始め、その没後建保2年(1214)に完成
初層の屋根の下に裳階と呼ぶ庇を設けている
裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例があるが、現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺のみである
29-10 東寺<教王護国寺>(京都府京都市南区九条町)
五重塔(国宝)
雷火や不審火で4回焼失、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)建立
高さ54.8m(木造塔としては日本一の高さ)
29-11 醍醐山 醍醐寺 (京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)
五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936年)に着工し
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951年)に完成した
高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている
京都府下で最も古い木造建築物
高さ12.8mの相輪
応仁の乱で伽藍はほぼ全焼し、その後も焼失と再建を繰り返しているが、五重塔は創建当時のまま現在に残っている
29-12 菩提山 穴太寺(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)
多宝塔(京都府指定文化財)
文化元年(1804年)再建
三間の多宝塔で柱は全て円柱
軒は下重に二軒繁垂木、上重に二軒扇垂木として変化を持たせている
多宝塔を借景として取り入れ、これに合わせて築山を設け、石組みを配している
京都府(仁和寺、神護寺、清凉寺、円隆寺<追加>、智恩寺、金剛院、淨瑠璃寺、岩船寺、
海住山寺、東寺、醍醐寺、穴太寺)
26 京都府
26-01 大内山 仁和寺(京都府京都市右京区御室大内)
五重塔(重要文化財)
寛永21年(1644)建立。塔身32.7m、総高36.18m
26-02 高雄山 神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)
<多宝塔>
26-03 五台山 清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
<多宝塔>
<一部追加>
26-04 慈恵山 円隆寺(京都府舞鶴市引土)
多宝塔(京都府指定文化財)
宝暦元年(1751年)の建立
三間多宝塔、本瓦葺
地元の大工・林田伝之丞房章などの手によるもの
多宝塔の亀腹を瓦葺にするなど独創的な建築として価値が高い
以前訪れた時、周囲の木々の枝が伸びすぎて建物が隠れてしまい、うまく撮ることができなかった
今回は光にも恵まれた感じがする
26-05 天橋山 智恩寺(京都府宮津市字文珠)
多宝塔(重要文化財)
明応9年(1500年)、府中城主 延永修理進が自分の病気全快を感謝し、一の宮の別当大聖院の智海に託して建立寄進したもの
26-06 鹿原山 慈恩寺 金剛院(京都府舞鶴市鹿原)
三重塔(重要文化財)
本尊の波切不動明王の力により白河天皇の病気が平癒されたことを喜び、荒廃していた当山を復興し三重の塔を建立、「慈恩寺」の寺号を下賜された
眞如親王像
平城天皇第3皇子、世の無常を感じ仏門に入り、法名を眞如と称し、弘法大師の十大弟子の一人として仏法の隆盛に尽くした
さらに法を求めて天竺に向かい、途中消息を絶った
26-07 小田原山 法雲院 淨瑠璃寺<九体寺>(京都府木津川市加茂町西小 札場)
三重塔(国宝)
「浄瑠璃寺流記事」によると治承2年(1178年)京都の一条大宮から移建したとある
どこの寺院にあったものかは不明である
浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された
26-08 高雄山 岩船寺(京都府木津川市加茂町岩船上ノ門)
三重塔(重要文化財)
三間三重塔婆の本瓦葺、高さは約18mで本堂南側山手の境内阿字池の奥まった高台に東を正面として建つ
寺伝によると「智泉大徳」入滅のあと10年が過ぎて、承和年間(834~847年)に仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで宝塔を建立した
承久三年(1221年)の承久の乱で兵火を被った
現存する塔は、室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立されたもの
29-09 補陀洛山 海住山寺(京都府木津川市加茂町例幣海住山境外)
五重塔(国宝)
全国に9塔ある国宝の塔の一つ(他は羽黒山、東寺、醍醐寺、法隆寺、興福寺、室生寺、明王院、瑠璃光寺)
鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい
貞慶が舎利を安置するために建立を始め、その没後建保2年(1214)に完成
初層の屋根の下に裳階と呼ぶ庇を設けている
裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例があるが、現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺のみである
29-10 東寺<教王護国寺>(京都府京都市南区九条町)
五重塔(国宝)
雷火や不審火で4回焼失、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)建立
高さ54.8m(木造塔としては日本一の高さ)
29-11 醍醐山 醍醐寺 (京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)
五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936年)に着工し
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951年)に完成した
高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている
京都府下で最も古い木造建築物
高さ12.8mの相輪
応仁の乱で伽藍はほぼ全焼し、その後も焼失と再建を繰り返しているが、五重塔は創建当時のまま現在に残っている
29-12 菩提山 穴太寺(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)
多宝塔(京都府指定文化財)
文化元年(1804年)再建
三間の多宝塔で柱は全て円柱
軒は下重に二軒繁垂木、上重に二軒扇垂木として変化を持たせている
多宝塔を借景として取り入れ、これに合わせて築山を設け、石組みを配している
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