広島市を抜け呉市にある大和ミュージアムに向かって車を走らせている。
酔うと人事不省に陥る知人がいるが、数年前にそんな状態でも大和ミュージアムに行くと広島のホテルから朝出かけていった。
帰ってきて、体調不良でも行ってよかったとの感想も、今回、目的地に設定した大きな理由になっている。
私自身も宇宙戦艦ヤマトは知らないが、プラモデル世代だけに戦艦大和は子供の頃よく組み立ててきた。
戦争映画も昔から好きで多くの日本人の期待に反して撃沈していった大和の無念も自分の無念のように感じるほど思い入れは強い。
駐車場を探していると潜水艦が視界に入ってきた。
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呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
呉市海事歴史科学館は広島県呉市にある科学館。
愛称は大和ミュージアムで、正式名称よりも愛称が広く定着している。
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年(平成17年)4月23日に開館した。
開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして同市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。
館の方針としては、当館を「平和学習の場」として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで、意見や注釈は一切ない。
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戦艦「陸奥」41センチ主砲身
呉海軍工廠で開発したもので「陸奥」の建造当時は世界最大の艦載砲であった。
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戦艦「大和」の歴史
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軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として史上最大最強の戦艦「大和」が設計された。
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「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要だった。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われた。
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「大和」は、国力面におけるアメリカ側の”量”的優位に対し、日本が”質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものだった。
その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれている。
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昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたったが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなっていた。
戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えた。
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乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していった。
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昭和60(1985)年「海の墓標委員会」、平成11(1999)年「大和プロジェクト'99」の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られた。
これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となった。
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九三式魚雷・二式魚雷
九三式魚雷は、それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた。
この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけだった。二式魚雷は、魚雷艇用として開発された魚雷で、魚雷艇以外にも「蚊龍」などの特殊潜航艇で使用された。
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特攻兵器「回天」十型(試作型)
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案された。
全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われた。
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零式艦上戦闘機六二型
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた。
機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまった。
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特殊潜航艦「海龍」(後期量産型)
「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦。
全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名。
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その他の展示物から
一等巡視艦「筑波」
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戦艦「金剛」
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戦艦「長門」
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航空母艦「赤城」
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局地戦闘機「紫電改」
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一等巡視艦「最上」
伊号第16潜水艦(写真上)、伊号第52潜水艦(写真下)
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伊号第37潜水艦(写真上)、伊号第400潜水艦(写真下)
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戦争責任等のこともあり建設の際にはご苦労もあったと聞く。
戦争と聞くと何でも反対する輩も多いが人類の歴史は戦争の歴史でもある。
やはり、きちんと向き合うことは大切だ。この科学館は方針として意見や注釈をつけていない。
ということは目の前の展示物を見たり資料を読むことによって各自考えることができるようになっている。
修学旅行の中学生も若者も多く入館していたが、しっかりした考え方を持って欲しいものだ。
平日なのに駐車場も満車、ナンバープレートも県外車が圧倒的に多い。
私も知人から聞いてここにきたが、そういう人も多いのかも知れない。
有意義な2時間を過ごすことができた。最後に一言、ここは二日酔いで来るところではない。
撮影 平成25年5月25日
酔うと人事不省に陥る知人がいるが、数年前にそんな状態でも大和ミュージアムに行くと広島のホテルから朝出かけていった。
帰ってきて、体調不良でも行ってよかったとの感想も、今回、目的地に設定した大きな理由になっている。
私自身も宇宙戦艦ヤマトは知らないが、プラモデル世代だけに戦艦大和は子供の頃よく組み立ててきた。
戦争映画も昔から好きで多くの日本人の期待に反して撃沈していった大和の無念も自分の無念のように感じるほど思い入れは強い。
駐車場を探していると潜水艦が視界に入ってきた。
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呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
呉市海事歴史科学館は広島県呉市にある科学館。
愛称は大和ミュージアムで、正式名称よりも愛称が広く定着している。
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年(平成17年)4月23日に開館した。
開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして同市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。
館の方針としては、当館を「平和学習の場」として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで、意見や注釈は一切ない。
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戦艦「陸奥」41センチ主砲身
呉海軍工廠で開発したもので「陸奥」の建造当時は世界最大の艦載砲であった。
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戦艦「大和」の歴史
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軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として史上最大最強の戦艦「大和」が設計された。
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「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要だった。
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「大和」は、国力面におけるアメリカ側の”量”的優位に対し、日本が”質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものだった。
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昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたったが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなっていた。
戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えた。
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乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していった。
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昭和60(1985)年「海の墓標委員会」、平成11(1999)年「大和プロジェクト'99」の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られた。
これらの調査は、半ば伝説とされてきた過去の戦艦「大和」と、それにかかわった人々の生きざまを現在に生きる私たちに伝えてくれる貴重な架け橋となった。
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九三式魚雷・二式魚雷
九三式魚雷は、それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた。
この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけだった。二式魚雷は、魚雷艇用として開発された魚雷で、魚雷艇以外にも「蚊龍」などの特殊潜航艇で使用された。
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特攻兵器「回天」十型(試作型)
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案された。
全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われた。
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零式艦上戦闘機六二型
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた。
機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまった。
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特殊潜航艦「海龍」(後期量産型)
「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦。
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その他の展示物から
一等巡視艦「筑波」
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伊号第37潜水艦(写真上)、伊号第400潜水艦(写真下)
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戦争責任等のこともあり建設の際にはご苦労もあったと聞く。
戦争と聞くと何でも反対する輩も多いが人類の歴史は戦争の歴史でもある。
やはり、きちんと向き合うことは大切だ。この科学館は方針として意見や注釈をつけていない。
ということは目の前の展示物を見たり資料を読むことによって各自考えることができるようになっている。
修学旅行の中学生も若者も多く入館していたが、しっかりした考え方を持って欲しいものだ。
平日なのに駐車場も満車、ナンバープレートも県外車が圧倒的に多い。
私も知人から聞いてここにきたが、そういう人も多いのかも知れない。
有意義な2時間を過ごすことができた。最後に一言、ここは二日酔いで来るところではない。
撮影 平成25年5月25日