訪問日 令和5年5月26日
島原半島から熊本港まで九商フェリーを利用した
6m未満の車両で5000円弱の運賃、約1時間の船旅を楽しんだ
雁回山 長寿寺 <通称:木原不動尊>
天台宗に属する比叡山延暦寺の末寺
熊本市南区富合町木原にあるため、「木原不動尊」の通称で親しまれている
成田山新勝寺(成田不動尊)、目黒区の瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の1つである
仁王門
仁王像
仁王像シリーズを投稿しているが、腹部が強調された面白い写真になった
表情も独特である
正面には柵があるが横には何もないのも珍しい
仁王像は筋骨隆々とした恐い姿を想像するが、人の良い中年の小太りのオッサンのような感じがする
鐘楼
観音堂
堂内
中央に「十一面観世音菩薩」
向かって右に「源為朝公」
平治の乱で平清盛に敗れる源義朝の弟で、源頼朝、源義経の叔父にあたる
乱暴者で勘当され九州の豊後国に追放された
九州では、鎮西八郎と名乗り、在地の豪族たちと合戦をし3年で九州を平定したといわれている
左に「十一面観世音菩薩立像」
手水舎
本堂
延暦年中(782~806年)伝教大師最澄の開基と伝えられる
鎮西八郎為朝こと源為朝が木原山の要害に城館を築き、鬼門の方角に当るこの寺の不動尊を深く信仰したという
文治年間には、源頼朝が堂宇を再興、祈願所とした
関ヶ原の戦いで小西行長が敗れた後は、行長の所領を引き継いだ加藤清正によって再興された
彫刻
奉納額
扁額には山号の「雁回山(がんかいざん)」
宇土藩第5代藩主・細川興文(月翁)の揮毫
源為朝が、自慢の弓で山上を飛ぶ雁を射落としていたので、雁が山を迂回して飛ぶようになったとの伝説による
本堂内部
本尊:不動明王立像<水引不動>(最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる)
像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されているという
左右に置かれている仏像
縁起
「火渡り」と「湯立て」(2月28日春季大祭)
自宅に戻り動画を検索して見てみた
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
肥後の三筆ともいわれている、豪潮律師によって建立された
伝教大師堂
本堂外観
多分初めて見る植物だと思うが……
撮影 令和5年5月26日
島原半島から熊本港まで九商フェリーを利用した
6m未満の車両で5000円弱の運賃、約1時間の船旅を楽しんだ
雁回山 長寿寺 <通称:木原不動尊>
天台宗に属する比叡山延暦寺の末寺
熊本市南区富合町木原にあるため、「木原不動尊」の通称で親しまれている
成田山新勝寺(成田不動尊)、目黒区の瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の1つである
仁王門
仁王像
仁王像シリーズを投稿しているが、腹部が強調された面白い写真になった
表情も独特である
正面には柵があるが横には何もないのも珍しい
仁王像は筋骨隆々とした恐い姿を想像するが、人の良い中年の小太りのオッサンのような感じがする
鐘楼
観音堂
堂内
中央に「十一面観世音菩薩」
向かって右に「源為朝公」
平治の乱で平清盛に敗れる源義朝の弟で、源頼朝、源義経の叔父にあたる
乱暴者で勘当され九州の豊後国に追放された
九州では、鎮西八郎と名乗り、在地の豪族たちと合戦をし3年で九州を平定したといわれている
左に「十一面観世音菩薩立像」
手水舎
本堂
延暦年中(782~806年)伝教大師最澄の開基と伝えられる
鎮西八郎為朝こと源為朝が木原山の要害に城館を築き、鬼門の方角に当るこの寺の不動尊を深く信仰したという
文治年間には、源頼朝が堂宇を再興、祈願所とした
関ヶ原の戦いで小西行長が敗れた後は、行長の所領を引き継いだ加藤清正によって再興された
彫刻
奉納額
扁額には山号の「雁回山(がんかいざん)」
宇土藩第5代藩主・細川興文(月翁)の揮毫
源為朝が、自慢の弓で山上を飛ぶ雁を射落としていたので、雁が山を迂回して飛ぶようになったとの伝説による
本堂内部
本尊:不動明王立像<水引不動>(最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる)
像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されているという
左右に置かれている仏像
縁起
「火渡り」と「湯立て」(2月28日春季大祭)
自宅に戻り動画を検索して見てみた
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
肥後の三筆ともいわれている、豪潮律師によって建立された
伝教大師堂
本堂外観
多分初めて見る植物だと思うが……
撮影 令和5年5月26日
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