訪問日 令和2年9月18日
潮岬灯台(和歌山県東牟婁郡串本町潮岬)
数カ所の灯台巡りをしているが、駐車料金と入場料(参観寄付金)を請求されたのは初めてである
明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続ける30mの断崖に建つ白亜の灯台
幕末の慶応2年(1866年)米・英・仏・蘭の4か国と結んだ「改税条約(江戸条約)」によって建設することを約束した8か所の灯台の1つ
他の7カ所は観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬
この灯台は高さ20mの灯塔まで68段の石造りのらせん階段等を利用して上ることができる
最後は狭くて急な梯子を上る
灯塔からは、眼下には太平洋の大海原が広がる
本州最南端の風景である
「痩せなければダメだな」と思うほど下りの階段は狭い
「資料展示室」
「鳥瞰図」を見て「串本と大島」の関係が分かった
「2代目潮岬灯台レンズ (第2等フレネル不動レンズ) 」
光源はハロゲン電球を使用し、光達距離は19海里(約35km)となっている
日本の灯台50選に選ばれ、2018年には「恋する灯台」の認定を受けている
潮御崎神社
社号標「潮御崎神社(しおのみさきじんじゃ)」
「鳥居」
「拝殿」
主祭神:少彦名命(スクナヒコナノミコト)
景行天皇28年(98年)御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのが潮御崎神社の創始となる
寛永14(1637)年の古文書によると
18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が潮御崎神社に集り、神官の立会で「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行なわれた
「鎮守社(高皇産霊尊)社殿」
「境内社(神名不明、大己貴命、天照大神)」
灯台横まで戻る
有料駐車場
くしもと大橋
串本本土と大島をつなぐ架橋で平成11年9月8日に開通した
大島側の橋の傍にある「ポケットパーク」に駐車し橋を眺める
290mのアーチ橋(写真)と苗我島に架かる386mのループ橋からなる
以前は大島港と串本港を巡航船が行き来していたが、橋の完成とともに巡航船は廃止された
トルコ軍艦遭難慰霊碑(和歌山県東牟婁郡串本町樫野)
明治23年(1890年)9月16日、大島樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐の中遭難
乗組員656名のうち587名が還らぬ人となった
異国の海に散った将士たちの霊を慰めるために建設された
19世紀末、ヨーロッパ列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコ帝国は、明治維新後同様の立場にあった日本に親善使節団の派遣を計画した
親善使節団の特使には、エミン・オスマン海軍少将が任命され、使節団座乗艦としてフリゲート艦エルトゥールル号が選ばれた
明治22年7月14日、エルトゥールル号は、スエズ運河を抜け、途中各地のイスラム教国に教主国として寄港、明治23年6月7日に横浜港に到着した
明治天皇に謁見し、両国の修好という皇帝の意を天皇に伝え、明治天皇は、使節に勲章を授けた
明治23年9月15日、横浜港を出港、帰国の途についた
翌日、エルトゥールル号は串本町大島樫野崎沖を航海していたが、同海域において台風に遭遇、猛烈な波浪と強風のために航行の自由を失う
次第に樫野崎に寄せられ、古より船乗りたちに恐れたれてた船甲羅岩礁に激突
船体破損部から流入した海水が機関の爆発を引き起こし、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故になった
この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたった
日本全国からも多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられた
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、同年10月5日、日本海軍の軍艦により帰国の途につき、トルコ国民の心からの感謝に迎えられた
「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」
イラン・イラク戦争が続いていた1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」という声明を発表
イランに住んでいた日本人は、慌てて首都テヘランの空港に向かい出国を試みたが、どの飛行機も満席で搭乗することができなかった
世界各国は自国民を救出するために救援機を出したが、日本からの救援機の派遣は、航行の安全が確保できないとの理由から見送られた
そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国から駆けつけた救援機2機。日本人215名全員がイランを脱出することに成功した
タイムリミットのわずか1時間前のことだったという
日本・トルコ合作映画「海難1890」は安倍首相とエルドアン大統領の後押しがあり、国家級のプロジェクト規模に膨らんだ
トルコ記念館
トルコ国との友好の証としてトルコ軍艦遭難慰霊碑の近くに建設された
遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されており、遭難事故当時の様子を知ることができる
樫野崎灯台(和歌山県東牟婁郡串本町樫野)
大島の東端にある樫野の断崖に立つ日本最古の石造り灯台
現在は自動点灯の無人灯台(高さ10.20m)
光度53万カンデラ、光達距離18.5海里(約35km)
らせん階段を上がる。灯塔からの眺望
エルトゥールル号の遭難とその後のトルコとの友好関係について興味を持っていたので、この場に立つことができて良かった
撮影 令和2年9月18日
潮岬灯台(和歌山県東牟婁郡串本町潮岬)
数カ所の灯台巡りをしているが、駐車料金と入場料(参観寄付金)を請求されたのは初めてである
明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続ける30mの断崖に建つ白亜の灯台
幕末の慶応2年(1866年)米・英・仏・蘭の4か国と結んだ「改税条約(江戸条約)」によって建設することを約束した8か所の灯台の1つ
他の7カ所は観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬
この灯台は高さ20mの灯塔まで68段の石造りのらせん階段等を利用して上ることができる
最後は狭くて急な梯子を上る
灯塔からは、眼下には太平洋の大海原が広がる
本州最南端の風景である
「痩せなければダメだな」と思うほど下りの階段は狭い
「資料展示室」
「鳥瞰図」を見て「串本と大島」の関係が分かった
「2代目潮岬灯台レンズ (第2等フレネル不動レンズ) 」
光源はハロゲン電球を使用し、光達距離は19海里(約35km)となっている
日本の灯台50選に選ばれ、2018年には「恋する灯台」の認定を受けている
潮御崎神社
社号標「潮御崎神社(しおのみさきじんじゃ)」
「鳥居」
「拝殿」
主祭神:少彦名命(スクナヒコナノミコト)
景行天皇28年(98年)御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのが潮御崎神社の創始となる
寛永14(1637)年の古文書によると
18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が潮御崎神社に集り、神官の立会で「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行なわれた
「鎮守社(高皇産霊尊)社殿」
「境内社(神名不明、大己貴命、天照大神)」
灯台横まで戻る
有料駐車場
くしもと大橋
串本本土と大島をつなぐ架橋で平成11年9月8日に開通した
大島側の橋の傍にある「ポケットパーク」に駐車し橋を眺める
290mのアーチ橋(写真)と苗我島に架かる386mのループ橋からなる
以前は大島港と串本港を巡航船が行き来していたが、橋の完成とともに巡航船は廃止された
トルコ軍艦遭難慰霊碑(和歌山県東牟婁郡串本町樫野)
明治23年(1890年)9月16日、大島樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐の中遭難
乗組員656名のうち587名が還らぬ人となった
異国の海に散った将士たちの霊を慰めるために建設された
19世紀末、ヨーロッパ列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコ帝国は、明治維新後同様の立場にあった日本に親善使節団の派遣を計画した
親善使節団の特使には、エミン・オスマン海軍少将が任命され、使節団座乗艦としてフリゲート艦エルトゥールル号が選ばれた
明治22年7月14日、エルトゥールル号は、スエズ運河を抜け、途中各地のイスラム教国に教主国として寄港、明治23年6月7日に横浜港に到着した
明治天皇に謁見し、両国の修好という皇帝の意を天皇に伝え、明治天皇は、使節に勲章を授けた
明治23年9月15日、横浜港を出港、帰国の途についた
翌日、エルトゥールル号は串本町大島樫野崎沖を航海していたが、同海域において台風に遭遇、猛烈な波浪と強風のために航行の自由を失う
次第に樫野崎に寄せられ、古より船乗りたちに恐れたれてた船甲羅岩礁に激突
船体破損部から流入した海水が機関の爆発を引き起こし、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故になった
この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたった
日本全国からも多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられた
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、同年10月5日、日本海軍の軍艦により帰国の途につき、トルコ国民の心からの感謝に迎えられた
「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」
イラン・イラク戦争が続いていた1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」という声明を発表
イランに住んでいた日本人は、慌てて首都テヘランの空港に向かい出国を試みたが、どの飛行機も満席で搭乗することができなかった
世界各国は自国民を救出するために救援機を出したが、日本からの救援機の派遣は、航行の安全が確保できないとの理由から見送られた
そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国から駆けつけた救援機2機。日本人215名全員がイランを脱出することに成功した
タイムリミットのわずか1時間前のことだったという
日本・トルコ合作映画「海難1890」は安倍首相とエルドアン大統領の後押しがあり、国家級のプロジェクト規模に膨らんだ
トルコ記念館
トルコ国との友好の証としてトルコ軍艦遭難慰霊碑の近くに建設された
遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されており、遭難事故当時の様子を知ることができる
樫野崎灯台(和歌山県東牟婁郡串本町樫野)
大島の東端にある樫野の断崖に立つ日本最古の石造り灯台
現在は自動点灯の無人灯台(高さ10.20m)
光度53万カンデラ、光達距離18.5海里(約35km)
らせん階段を上がる。灯塔からの眺望
エルトゥールル号の遭難とその後のトルコとの友好関係について興味を持っていたので、この場に立つことができて良かった
撮影 令和2年9月18日
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