今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸1)

2024年07月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月15日
日吉神社
重要文化財の三重塔見たさに、これまで数回訪れている

惣門
額には「日吉新宮」






社務所



参道の正面に神輿殿が見えてくる



手水舎



牛石



産石



狛犬1






大物忌神社



竃殿神社



三重塔(重要文化財)
訪れた目的はこの三重塔
青空を背景に撮りたいと思っていたが今回も駄目であった



相輪頂上までの高さ 24.6m
室町時代後期(1467年 - 1572年)の建立






火祭りの庭(神輿石)
岐阜県重要無形文化財「神戸山王まつり」を表現している
七社の神輿を担ぎ琵琶湖を模した庄九郎川を渡御、神輿を7個の巨石で表現

「宇佐の宮」



「牛尾の宮」



「樹下の宮」



「大宮」



「二の宮」



「客人の宮」



「三の宮」



石舞台の庭
日吉大社の発祥は、神体山・牛尾山の山頂にある磐座
この庭の巨石は磐座と磐境を表現している






神輿殿



「日吉山王まつり」の7基の神輿がここに並ぶという



猿の彫刻



額には「日吉新宮」



招魂社
神戸町および大野町本庄の明治、大正、昭和の戦病死軍人四百十余柱



由緒
弘仁8年(817年)伝教大師 最澄が東国へ天台宗の布教に東山道を通った折、神戸の地に立ち寄った
大師は影向山神護寺善学院を建て、近江坂本・日吉神の「四柱の神」を勧請、日吉信仰の社を創建
その後、40余年を経た貞観3年(861年)大師の弟子の慈覚大師 円仁が伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄り「三柱の神」を勧請
伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、今日まで山王七社として奉幣されてきた
当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられたが、明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わってきた

三宮
祭神:鴨玉依姫大神 荒魂(かもたまよりひめのおおかみ あらみたま)



牛尾宮
祭神:大山昨大神 荒魂(おおやまくいのおおかみ あらみたま)



正面に並ぶ社



二宮
祭神:大山昨大神(おおやまくいのおおかみ)



宇佐宮
祭神:湍津姫大神(たきつひめのおおかみ)



大宮(岐阜県指定文化財)
祭神:大己貴大神(おおなむちのおおかみ)



狛犬2
左足に天正五…の文字が見える
およそ450年前の1577年になる



右足に「不破河内守光治造立」と刻まれている






客人宮
祭神:白山姫大神(しらやまひめのおおかみ)



樹下宮
祭神:鴨玉依姫大神(かもたまよりひめのおおかみ)




早尾神社



神明神社・多度神社



収蔵庫



境内図



年齢的にも、今回が最後になるかも知れないと思い訪れた



撮影 令和6年5月15日

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