訪問日 令和5年10月5日
盛岡八幡宮
康平5年(1062年)源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まる
社号標「盛岡鎮守」
皇后陛下の曾祖父にあたる、盛岡出身の海軍大将 山屋他人の揮毫
鳥居
額には社号の「盛岡八幡宮」
南部家第四十六代当主南部 利文謹書とある
青銅燈籠 二基(盛岡市指定文化財)
手水舎
この手水石は、滝壺のなかにあり、流水により自然にくぼみができた「水掘石」
神馬舎
社殿側から鳥居を眺める
正面の階段を上がるごとに社殿の姿が見えてくる
狛犬1
拝殿
現在の社殿は平成9年(1997年)12月に新八幡宮として建て直されたもの
美しい拝殿の前では若い女性グループが個性的なポーズで写真を撮っていた
撮り方も撮られ方も良く知っている若者の写真は爺の記録写真とは異なり面白い
正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八幡宮」の額
文禄2年(1593年)南部氏が盛岡城を築城した際に城内鎮守の神社として再建
延宝8年(1680年)南部重信は青森より南部氏の氏神であった「櫛引八幡を勧請」
鳩森八幡の御旅所のあった現在地に祀って「新八幡」「南部新八幡」と称した
明治22年(1889年)市内の白山神社を合祀
祭神:八幡大神=誉田別命(ほんだわけのみこと)<応神天皇>
春日大神、白山大神
社務所
神宝殿
縁結美神社(えんむすびじんじゃ)
赤い「結び紐」を結び良縁成就、恋愛成就を願う
よく見ると「ハート形」になっている
瓢箪には神霊が宿るとされ、邪気を吸い込み空気を浄化すると信じられてきた
くびれた独特の形から、一度吸い込んだ邪気を逃さない(封じ込める)とされており、除災招福のお守りや魔除けとなった
絵馬掛け
「目出鯛おみくじ」
神社側もよく考えるものだ
狛犬2
十二支神社
旧神門
境内の中で一番興味を持った建物
調べて見ると旧神門だった
八幡宮の文字や奉納額に歴史を感じる
大黒様
恵比須様
この右側に拝殿がある
明治大帝聖像
撮影 令和5年10月5日
盛岡八幡宮
康平5年(1062年)源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まる
社号標「盛岡鎮守」
皇后陛下の曾祖父にあたる、盛岡出身の海軍大将 山屋他人の揮毫
鳥居
額には社号の「盛岡八幡宮」
南部家第四十六代当主南部 利文謹書とある
青銅燈籠 二基(盛岡市指定文化財)
手水舎
この手水石は、滝壺のなかにあり、流水により自然にくぼみができた「水掘石」
神馬舎
社殿側から鳥居を眺める
正面の階段を上がるごとに社殿の姿が見えてくる
狛犬1
拝殿
現在の社殿は平成9年(1997年)12月に新八幡宮として建て直されたもの
美しい拝殿の前では若い女性グループが個性的なポーズで写真を撮っていた
撮り方も撮られ方も良く知っている若者の写真は爺の記録写真とは異なり面白い
正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八幡宮」の額
文禄2年(1593年)南部氏が盛岡城を築城した際に城内鎮守の神社として再建
延宝8年(1680年)南部重信は青森より南部氏の氏神であった「櫛引八幡を勧請」
鳩森八幡の御旅所のあった現在地に祀って「新八幡」「南部新八幡」と称した
明治22年(1889年)市内の白山神社を合祀
祭神:八幡大神=誉田別命(ほんだわけのみこと)<応神天皇>
春日大神、白山大神
社務所
神宝殿
縁結美神社(えんむすびじんじゃ)
赤い「結び紐」を結び良縁成就、恋愛成就を願う
よく見ると「ハート形」になっている
瓢箪には神霊が宿るとされ、邪気を吸い込み空気を浄化すると信じられてきた
くびれた独特の形から、一度吸い込んだ邪気を逃さない(封じ込める)とされており、除災招福のお守りや魔除けとなった
絵馬掛け
「目出鯛おみくじ」
神社側もよく考えるものだ
狛犬2
十二支神社
旧神門
境内の中で一番興味を持った建物
調べて見ると旧神門だった
八幡宮の文字や奉納額に歴史を感じる
大黒様
恵比須様
この右側に拝殿がある
明治大帝聖像
撮影 令和5年10月5日
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