今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

2024年03月13日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月6日

三熊野神社
三熊野(みくまの)神社の正式名称は「熊野神社」
鳥居前の二つの石柱には「熊野神社」「毘沙門堂」とある



鳥居の近くに駐車場があるが、一般道路から徒歩により参拝する場合は長い階段を上がらなければならない



鳥居の額には「毘沙門天」「熊野神社」と並記されている



この写真付きの参拝順路はとても分かりやすい



鳥居
鳥居の前には社務所、総合案内がある



手水舎



手水舎の先に「拝殿」が見える



幼児成長祈願石像



神社といえば狛犬だが、ここには一対の幼児の石像がある






拝殿



社伝によれば、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争に際して、征矢立の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願
戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に熊野三山の神を勧請して創祀したという



康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたという



額には「熊野神社」
近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、境内に隣接する毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ、古くからともに熊野山成島寺(じょうとうじ)を別当としていた
明治の神仏分離で成島寺を廃寺とした際に独立し、毘沙門堂とも分離した



本殿(岩手県指定文化財)
本殿は桁行3間梁間2間の切妻造平入の身舎前面に、桁行3間の吹放ちの庇が接続し、さらに庇中央に1間幅の向拝を設ける



祭神:伊弉冉命、事解男命、速玉男命の3柱を祀る



御神木「千年杉・爺杉」



石川啄木の短歌
「不来方のお城の 草に寝転びて 空に吸はれし 十五の心」



古代杉の根元に寝転び、大空を仰ぎ見ることにより
自らの生命力 勇気と自身が湧いてくる<宮司>

何と枕まで用意されている



熊野神社十二番角力式(東和町指定民族文化財)
幼児による泣き相撲として知られる角力(相撲)神事
猿ヶ石川を境に南北に分かれる集落から長男で数え年2歳の幼児6名宛を力士として選び、本殿脇の土俵上で対面させるというもの



坂上田村麻呂が戦勝の祝宴をこの地で開いた際に両集落の若者に相撲を取らせ、田村麻呂が勝った側の集落に豊作を約束した事に由来する神事であった
宝永3年(1706年)から幼児による泣き相撲に変えられた



本来は作占(豊凶占い)の神事であるが、現在は幼児の成長を祈る意も込められている



さざれ石
東日本大震災の際、参道に落石したさざれ石



おみくじ掛け



成島毘沙門堂(重要文化財)
坂上田村麻呂または円仁の開基と伝える



様式上、室町時代後期の建立と推定される
方三間、寄棟造、鉄板葺(もと茅葺)の仏堂



毘沙門堂の前に置かれている石仏?






扁額には「毘沙門堂」
堂内に「兜跋毘沙門天像(重要文化財)」が安置されていた






堂内に入る



堂内には多くの「奉納額」がある












年代を見ると多くは明治時代に奉納されもの









鏡の置かれている場所に「兜跋毘沙門天像」があった






鳴嶋観音(平成3年に奉納されたもの)



「兜跋毘沙門天像」の拝観のみ有料になるが楽しみにしていた



宝物殿
拝観料:大人500円 小中学生300円



木造兜跋毘沙門天立像(附:二鬼坐像 2躯)(重要文化財)
平安時代中期(10世紀頃)の作
像高3.59m、足下の地天像を含む総高4.73m(樺の一本彫成仏としては日本一を誇る)

木造伝吉祥天立像(重要文化財)<左奥>



宮沢賢治詩碑
詩の5行目に
 「ナリトナリアナロ御堂のうすあかり
 毘沙門像に味噌たてまつる」とある



私の住む北海道では自生しない「曼珠沙華(彼岸花)」



地元の参拝者と話しをする機会に恵まれ情報を得た(次回投稿)



ここに来た目的である重要文化財の毘沙門堂と毘沙門天をじっくり拝観することができた(満足)



撮影 令和5年10月6日

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