訪問日 令和6年5月24日
大滝山 福生寺(ふくしょうじ)
高野山真言宗の寺院
奈良時代創建の寺伝をもつ山陽地方でも有数の古寺
重要文化財の三重塔があることを知り、初めて訪れた
奥深い山にあり、上り坂の途中に山門らしき建物があったが、この場所まで走ってきた
現在、大滝山福生寺は宗教法人格を有せず、
寺は「実相院、西法院、福寿院」の3つの子院によって維持管理されていることを後に知った
鐘堂
本堂(岡山県指定文化財)
元禄14年(1701年)に書かれた縁起によれば、天平勝宝6年(754年)鑑真により創建されたとある
平安時代初期、菅原道真が編纂した『類聚国史』には
「天長5年(828年)6月備前国墾田四町六反為大滝寺田」とあり、法隆寺や唐招提寺と並んで記載されている
平安時代中期の万寿元年(1024年)に大火により焼亡した
その後、足利尊氏の発願により観応年間(1350年 - 1352年)再興されたとある
僧院は33房を数えたが、康正年間(1455年 - 1457年)の赤松氏・山名氏の争いにより山門と三重塔以外は全て戦火により焼亡した
岡山藩2代藩主・池田綱政が大願主となり天和2年(1682年)に再建された
江戸時代、岡山藩主により庇護され明治初期には13房が残っていた
なお、現在の僧院は実相院、西法院、福寿院の3房
経蔵
延享3年(1746年)の建立
内部の輪転式、八角形の書庫は全国希有なものなりとの記載
「一切経」を所蔵している
大師堂(備前市指定文化財)
弘法大師奉安の堂で、毎月21日には一山僧侶総出仕して法楽祈願を捧ぐ
蟇股の彫刻
三重塔(重要文化財)
三重塔拝観を目的で訪れたのだが、周辺を見渡してもその姿が見つからない
他に参拝者というより人の気配が無く、一瞬不安になった
近くの寺らしき建物(上記3房の1つ)を訪ね、場所を確認する
この道が急坂で足元が悪く苦労したが、何とかたどり着くことができた
山の尾根にぽつんと建っている塔は私の経験では初めてだ
寺伝では嘉吉元年(1441年)室町幕府6代将軍 足利義教の命によって建立された
塔周辺は狭くて足場も悪く、油断すると崖から落下する恐れもある
塔全体を撮るために、瓦礫が積まれている場所によじ登る
国宝・重要文化財の塔巡りは私の旅の大きな目的の一つ
今回の旅で新たに一つ加わった
写真から塔周辺の狭さと危険さを再認識(汗)
仁王門(岡山県指定文化財)
帰りに山門らしき建物に立ち寄った
嬉しいことに仁王門であった
応永4年(1398年)3代将軍 足利義満により仁王門が建立された
額には山号の「大瀧山」
仁王像
像の前に柵があるため、同じアングルになってしまう
仁王像シリーズに追加できる
撮影 令和6年5月24日
大滝山 福生寺(ふくしょうじ)
高野山真言宗の寺院
奈良時代創建の寺伝をもつ山陽地方でも有数の古寺
重要文化財の三重塔があることを知り、初めて訪れた
奥深い山にあり、上り坂の途中に山門らしき建物があったが、この場所まで走ってきた
現在、大滝山福生寺は宗教法人格を有せず、
寺は「実相院、西法院、福寿院」の3つの子院によって維持管理されていることを後に知った
鐘堂
本堂(岡山県指定文化財)
元禄14年(1701年)に書かれた縁起によれば、天平勝宝6年(754年)鑑真により創建されたとある
平安時代初期、菅原道真が編纂した『類聚国史』には
「天長5年(828年)6月備前国墾田四町六反為大滝寺田」とあり、法隆寺や唐招提寺と並んで記載されている
平安時代中期の万寿元年(1024年)に大火により焼亡した
その後、足利尊氏の発願により観応年間(1350年 - 1352年)再興されたとある
僧院は33房を数えたが、康正年間(1455年 - 1457年)の赤松氏・山名氏の争いにより山門と三重塔以外は全て戦火により焼亡した
岡山藩2代藩主・池田綱政が大願主となり天和2年(1682年)に再建された
江戸時代、岡山藩主により庇護され明治初期には13房が残っていた
なお、現在の僧院は実相院、西法院、福寿院の3房
経蔵
延享3年(1746年)の建立
内部の輪転式、八角形の書庫は全国希有なものなりとの記載
「一切経」を所蔵している
大師堂(備前市指定文化財)
弘法大師奉安の堂で、毎月21日には一山僧侶総出仕して法楽祈願を捧ぐ
蟇股の彫刻
三重塔(重要文化財)
三重塔拝観を目的で訪れたのだが、周辺を見渡してもその姿が見つからない
他に参拝者というより人の気配が無く、一瞬不安になった
近くの寺らしき建物(上記3房の1つ)を訪ね、場所を確認する
この道が急坂で足元が悪く苦労したが、何とかたどり着くことができた
山の尾根にぽつんと建っている塔は私の経験では初めてだ
寺伝では嘉吉元年(1441年)室町幕府6代将軍 足利義教の命によって建立された
塔周辺は狭くて足場も悪く、油断すると崖から落下する恐れもある
塔全体を撮るために、瓦礫が積まれている場所によじ登る
国宝・重要文化財の塔巡りは私の旅の大きな目的の一つ
今回の旅で新たに一つ加わった
写真から塔周辺の狭さと危険さを再認識(汗)
仁王門(岡山県指定文化財)
帰りに山門らしき建物に立ち寄った
嬉しいことに仁王門であった
応永4年(1398年)3代将軍 足利義満により仁王門が建立された
額には山号の「大瀧山」
仁王像
像の前に柵があるため、同じアングルになってしまう
仁王像シリーズに追加できる
撮影 令和6年5月24日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます