夕暮れ時、新潟県を走行中「弥彦」という地名が出てきた
私の趣味である「競馬と競輪」でも馴染みのある地名である
彌彦神社(いやひこじんじゃ)
正式には「いやひこ」だが、一般には「やひこ」と呼ばれる
一の鳥居
鳥居の前に来て、この神社が彌彦神社と知った
参道
『万葉集』にも歌われる古社であり、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬された
随神門(ずいじんもん)
拝殿に続く最後の門には、二体の随神が収められている
「桜井古水鏡」によると、紀州熊野から天香山命に随行してきた印南鹿神(いなしかしん)を父とする兄弟の神様と言われている
狛犬
名工、酒井八右衛門の代表作で、平成10年9月、国の登録有形文化財に登録された名品
祭神の天香山命は、『古事記』に「高倉下」として登場する
社伝によれば、命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる
拝殿
明治45年の炎上後、大正5年に再建した社殿
参拝や祈祷をするための施設で、平成10年9月、国の登録有形文化財となった
本殿は三間社流造拝付、回縁高欄、脇障子を具え、銅板葺き
幣殿も三間社流造、大床昇階擬宝珠高欄を付し、銅板葺き
祝詞舎は20坪両流箱棟造りで、それにつづく拝殿(50坪)は入母屋造、向拝、裳階付き銅板葺き
競輪場の近くに神社があるという軽い気持ちで訪れた神社であり、予備知識も全くなく、そこが彌彦神社ということも知らなかった
カメラもたまたまポケットに入っていたコンパクトカメラで撮影したもので、周囲も暗くほとんどが焦点が合わず、機会があったら再度訪れ紹介したい。
撮影 平成21年7月26日
私の趣味である「競馬と競輪」でも馴染みのある地名である
彌彦神社(いやひこじんじゃ)
正式には「いやひこ」だが、一般には「やひこ」と呼ばれる
一の鳥居
鳥居の前に来て、この神社が彌彦神社と知った
参道
『万葉集』にも歌われる古社であり、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬された
随神門(ずいじんもん)
拝殿に続く最後の門には、二体の随神が収められている
「桜井古水鏡」によると、紀州熊野から天香山命に随行してきた印南鹿神(いなしかしん)を父とする兄弟の神様と言われている
狛犬
名工、酒井八右衛門の代表作で、平成10年9月、国の登録有形文化財に登録された名品
祭神の天香山命は、『古事記』に「高倉下」として登場する
社伝によれば、命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる
拝殿
明治45年の炎上後、大正5年に再建した社殿
参拝や祈祷をするための施設で、平成10年9月、国の登録有形文化財となった
本殿は三間社流造拝付、回縁高欄、脇障子を具え、銅板葺き
幣殿も三間社流造、大床昇階擬宝珠高欄を付し、銅板葺き
祝詞舎は20坪両流箱棟造りで、それにつづく拝殿(50坪)は入母屋造、向拝、裳階付き銅板葺き
競輪場の近くに神社があるという軽い気持ちで訪れた神社であり、予備知識も全くなく、そこが彌彦神社ということも知らなかった
カメラもたまたまポケットに入っていたコンパクトカメラで撮影したもので、周囲も暗くほとんどが焦点が合わず、機会があったら再度訪れ紹介したい。
撮影 平成21年7月26日
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