この吉崎御坊も車を走らせていたときに偶然見つけた場所である。駐車場で雨が止むのを待ち歩き出した
史跡 吉崎御坊跡
文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世法主蓮如が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立した
御坊跡に向う階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院(西御坊・西別院)が、東側に真宗大谷派の別院(東御坊・東別院)が置かれる
「蓮如」については作家の五木寛之氏が数冊の本を執筆していて、私も読んだことがある
蓮如上人像(高村光雲作・1934年)
吉崎御坊本堂跡
永正3年(1506年)、朝倉氏が加賀より越前に侵攻した加賀一向一揆勢を九頭竜川の戦いで退けた後、吉崎の坊舎を破却し、以後廃坊となる
腰かけ石
蓮如上人が腰かけたという石 私も座ってみた
蓮如お手植えのお花松
公園内から遠くに北潟湖が見える
御坊跡の帰り道に寺の方から声をかけられ中に入ったが、宗教家というより商売人といった感じで印象が悪かった
蓮如上人も悲しんでいることだろう
この後、傘も壊れそうな大雨となり急いでこの地から離れた
撮影 平成21年7月27日
史跡 吉崎御坊跡
文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世法主蓮如が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立した
御坊跡に向う階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院(西御坊・西別院)が、東側に真宗大谷派の別院(東御坊・東別院)が置かれる
「蓮如」については作家の五木寛之氏が数冊の本を執筆していて、私も読んだことがある
蓮如上人像(高村光雲作・1934年)
吉崎御坊本堂跡
永正3年(1506年)、朝倉氏が加賀より越前に侵攻した加賀一向一揆勢を九頭竜川の戦いで退けた後、吉崎の坊舎を破却し、以後廃坊となる
腰かけ石
蓮如上人が腰かけたという石 私も座ってみた
蓮如お手植えのお花松
公園内から遠くに北潟湖が見える
御坊跡の帰り道に寺の方から声をかけられ中に入ったが、宗教家というより商売人といった感じで印象が悪かった
蓮如上人も悲しんでいることだろう
この後、傘も壊れそうな大雨となり急いでこの地から離れた
撮影 平成21年7月27日
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