訪問日 令和4年5月19日
大瀧神社・岡太神社
全国で唯一“紙の神様”をおまつりする神社
大徳山という霊山の山上にある「奥の院(上宮)」と、山のふもとにある「下宮」から成り立っている
大瀧神社は「大瀧兒権現」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山である平泉寺の末寺として隆盛
その別当「大瀧寺」の境内に、「岡太神社」という紙の神様がまつられていたらしい
狛犬
神門と社殿
寺社巡りを中心に旅を楽しんでいるが、この社殿に最も魅力を感じている
本殿・拝殿(重要文化財)
江戸時代後期の天保14年(1843年)に再建された下宮の社殿
入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない
手掛けたのは曹洞宗本山永平寺の勅使門(重要文化財)を手掛けた名棟梁、大久保勘左衛門
彼は、美しさと複雑さを併せもつ唯一の社殿を考案した
祭神:大瀧神社(國常立尊・伊弉諾尊)
岡太神社(川上御前)
本殿の側面と背面には中国の故事を題材にした丸彫りの彫刻
土台となっている石は創建当初のものだと地元の方から聞いた
拝殿正面に、獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻
光のマジックでデジカメ特有の面白い写真になった
実際はこのような感じ
神輿殿
奏楽殿
少し高い場所から
入母屋に唐破風が重なっていく屋根は芸術的だ(多くの人に知ってもらいたい)
観音堂(絵馬堂)
神仏習合の寺院であった大瀧兒大権現は、明治新政府が出した神仏分離令により「大瀧神社」と改められた
寺院関連の仏像などは処分されてしまうことが多かった
大瀧寺の仏像は近くの法徳寺などのお寺にあずかってもらった
木造十一面観音坐像(越前市指定文化財)
絵馬
鳥居
撮影日 令和4年5月19日
大瀧神社・岡太神社
全国で唯一“紙の神様”をおまつりする神社
大徳山という霊山の山上にある「奥の院(上宮)」と、山のふもとにある「下宮」から成り立っている
大瀧神社は「大瀧兒権現」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山である平泉寺の末寺として隆盛
その別当「大瀧寺」の境内に、「岡太神社」という紙の神様がまつられていたらしい
狛犬
神門と社殿
寺社巡りを中心に旅を楽しんでいるが、この社殿に最も魅力を感じている
本殿・拝殿(重要文化財)
江戸時代後期の天保14年(1843年)に再建された下宮の社殿
入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない
手掛けたのは曹洞宗本山永平寺の勅使門(重要文化財)を手掛けた名棟梁、大久保勘左衛門
彼は、美しさと複雑さを併せもつ唯一の社殿を考案した
祭神:大瀧神社(國常立尊・伊弉諾尊)
岡太神社(川上御前)
本殿の側面と背面には中国の故事を題材にした丸彫りの彫刻
土台となっている石は創建当初のものだと地元の方から聞いた
拝殿正面に、獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻
光のマジックでデジカメ特有の面白い写真になった
実際はこのような感じ
神輿殿
奏楽殿
少し高い場所から
入母屋に唐破風が重なっていく屋根は芸術的だ(多くの人に知ってもらいたい)
観音堂(絵馬堂)
神仏習合の寺院であった大瀧兒大権現は、明治新政府が出した神仏分離令により「大瀧神社」と改められた
寺院関連の仏像などは処分されてしまうことが多かった
大瀧寺の仏像は近くの法徳寺などのお寺にあずかってもらった
木造十一面観音坐像(越前市指定文化財)
絵馬
鳥居
撮影日 令和4年5月19日
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