昨日は広島の原爆ドームを紹介した。
広島東洋カープひと筋に「野球道を追求した」前田智徳選手が現役に終止符を打った日でもある。
10年ほど前、職場の同僚の退職旅行の際「どこへ行きたいですか」と聞くと「屋久島と知覧に行きたい」。
屋久島は知っていたが「知覧ってどこにあるのですか」と聞くと「日本人で知覧も知らないのか」と。そこから旅行の計画が始まり現地へ。
本日、紹介する写真は2回目に訪れた時のものである。
知覧平和公園
太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校知覧分校として設立。
大戦末期に、知覧分校から知覧特攻基地に名称変更。 ここから多くの特攻隊員が出撃し、戦死している。
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館は、大東亜戦争(太平洋戦争)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している。
展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長 板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。
平和会館の入口前の木の形、何かを模している。
館内は撮影禁止のため様子を伝えることはできないが、写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことが遺書に記され、そのすべてを読むには2~3時間でも足りない。
この日、若者の集団が入館していた。その行動から自衛隊員かなと思ったがどうも違う。私の頭にはある高校の生徒だとの想像があり、聞いてみるとその通りだった。
その高校とは前田智徳選手の母校だ。若者は野球部ではなくサッカー部員であったが実に立派な立ち居振る舞い、日本の将来は明るい。
三角兵舎
特攻隊員の宿舎である。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ偽装していた。
各地から集まった隊員は2~3日後には雲のかなた沖縄の空に散華された。
出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌をうたった。
薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたため出撃して征った。
「読み、書き、そろばん」と昔の人はよく言ったが、遺書を読んでその大切さを改めて知った。
両親や弟妹、新妻や恋人などへ、それぞれの思いをしっかりした文章と心のこもった文字で書かれている。
印刷された文字ではなく直筆のなのでその時の情景がより伝わってくる。
広島は突然起こった悲劇の記録であるが、知覧はこれから起こる悲劇の記録である。
鹿児島県は北海道からは遠い地ではあるが、また訪れたいと思っている。
知覧武家屋敷庭園
美しく刈られている庭木が見事だ。
この地区を歩いていると「仁義なき戦い」の主演男優 菅原文太氏の若かりし時の頭髪をつい思い出してしまう。寸分の狂いもない。
この地区に入ると、どこで見ているのかそっと人が寄ってきて入館料500円を請求される。隠れていてもだめだ。
街並み全体はまるで箱庭のような趣があり、「薩摩の小京都」と呼ばれている。
およそ260年前から変わらぬ姿を保ち続ける武家屋敷庭園に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。
静かな空気が流れる中、薩摩の武士の熱い息づかいを感じる。
広い敷地内には国の名勝に指定された七つの庭園があり、公開されている。
西郷氏庭園
七つの庭園のうちの一つ。
私は庭園のよさについては全く理解できないが、好きな人にとってはたまらない場所になると思う。
この界隈で売られていた「知覧茶」を購入したが、とても美味しかった。
各家の庭先には北海道では見られない正月飾りがあった。
撮影 平成20年1月15日
広島東洋カープひと筋に「野球道を追求した」前田智徳選手が現役に終止符を打った日でもある。
10年ほど前、職場の同僚の退職旅行の際「どこへ行きたいですか」と聞くと「屋久島と知覧に行きたい」。
屋久島は知っていたが「知覧ってどこにあるのですか」と聞くと「日本人で知覧も知らないのか」と。そこから旅行の計画が始まり現地へ。
本日、紹介する写真は2回目に訪れた時のものである。
知覧平和公園
太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校知覧分校として設立。
大戦末期に、知覧分校から知覧特攻基地に名称変更。 ここから多くの特攻隊員が出撃し、戦死している。
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館は、大東亜戦争(太平洋戦争)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している。
展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長 板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。
平和会館の入口前の木の形、何かを模している。
館内は撮影禁止のため様子を伝えることはできないが、写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことが遺書に記され、そのすべてを読むには2~3時間でも足りない。
この日、若者の集団が入館していた。その行動から自衛隊員かなと思ったがどうも違う。私の頭にはある高校の生徒だとの想像があり、聞いてみるとその通りだった。
その高校とは前田智徳選手の母校だ。若者は野球部ではなくサッカー部員であったが実に立派な立ち居振る舞い、日本の将来は明るい。
三角兵舎
特攻隊員の宿舎である。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ偽装していた。
各地から集まった隊員は2~3日後には雲のかなた沖縄の空に散華された。
出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌をうたった。
薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたため出撃して征った。
「読み、書き、そろばん」と昔の人はよく言ったが、遺書を読んでその大切さを改めて知った。
両親や弟妹、新妻や恋人などへ、それぞれの思いをしっかりした文章と心のこもった文字で書かれている。
印刷された文字ではなく直筆のなのでその時の情景がより伝わってくる。
広島は突然起こった悲劇の記録であるが、知覧はこれから起こる悲劇の記録である。
鹿児島県は北海道からは遠い地ではあるが、また訪れたいと思っている。
知覧武家屋敷庭園
美しく刈られている庭木が見事だ。
この地区を歩いていると「仁義なき戦い」の主演男優 菅原文太氏の若かりし時の頭髪をつい思い出してしまう。寸分の狂いもない。
この地区に入ると、どこで見ているのかそっと人が寄ってきて入館料500円を請求される。隠れていてもだめだ。
街並み全体はまるで箱庭のような趣があり、「薩摩の小京都」と呼ばれている。
およそ260年前から変わらぬ姿を保ち続ける武家屋敷庭園に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。
静かな空気が流れる中、薩摩の武士の熱い息づかいを感じる。
広い敷地内には国の名勝に指定された七つの庭園があり、公開されている。
西郷氏庭園
七つの庭園のうちの一つ。
私は庭園のよさについては全く理解できないが、好きな人にとってはたまらない場所になると思う。
この界隈で売られていた「知覧茶」を購入したが、とても美味しかった。
各家の庭先には北海道では見られない正月飾りがあった。
撮影 平成20年1月15日
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