今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鳥形山 飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村飛鳥)

2020年11月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月23日

鳥形山 飛鳥寺
先に訪れた岡寺からは10分程度と聞いたので歩いて移動することにした
途中、方向音痴であることと歩幅が短いことに気付き30分以上もかかってしまった



疲れ気味で到着、水分補給をしつつ休憩



フランケンシュタインのような飛鳥大仏の姿が無性に見たくなる



「飛鳥大佛標石」 寛政4年(1792年)飛鳥寺参拝の道しるべとして彫刻された文字



「山門」 今回が4回目の参拝になる。前回は女子高校の修学旅行生で賑わっていたが、今は静かだ



最近になって飛鳥大仏の撮影ができることを知ったため受付でその確認をする
今回、明日香村を訪れたのはこの仏像を撮りたいと思ったからだ



銅造釈迦如来坐像(重要文化財)
「日本最古の仏像」であることは、よく知られている
推古天皇17年(609年)に鞍作鳥(止利仏師)によって、高さ3mで、当時銅15t、黄金30kgを用いて造られた



鎌倉時代の建久7年(1196年)の火災によって大きく破損し、その後に修復された
頭部と右手指の一部のみが創建当時のままだという



注視すると仏像全体に修復の痕跡が見られる
最古の仏像でありながら国宝に指定されない理由はここか



正面から観ると仏像の顔が少し横向きになっている
聖徳太子が生まれた「橘寺」を見ていると寺の僧が説明していたのを聞いたことがある



参拝者は私一人だったので色々な角度から撮ってみる






アルカイックスマイルとアーモンドに似た目といわれているが……



私には微笑んでいるようには見えない






仏像を撮影する機会はほとんどないため、とても楽しい時間だが……
実際撮ってみるととても難しい



「阿弥陀如来像」 木造 藤原時代



「聖徳太子孝養像」 木造 室町時代






「本堂」 
飛鳥大仏が安置されている。創建時には、この位置に中金堂があった
江戸時代の文政8年(1825年)に建てられたもの



「鐘楼」



入鹿の首塚
入鹿は皇極4年(645年)飛鳥板蓋宮で中大兄皇子、中臣鎌足等によって殺害される(乙巳の変)



その時切り落とされた首は飛鳥板蓋宮から約600~650m離れたこの地まで飛び
その祟りを祓うために首塚が建てられたという



地元の同世代の男性に声をかけ話しを聞く
首塚の奥に見えるのが「甘樫丘(あまかしのおか)」である
明日香村内や橿原市内の大和三山や藤原京などの風景を望むことができる
丘の一部分の木に透いて見える場所がある



天皇陛下が明日香村を眺望できるようにと配慮されたようである
この地区には白いガードレールもないと聞いた



目の前を観光客がレンタサイクルで駆け抜けていく
長閑な風景が明日香村の魅力でもある



歩いて遠くにある駐車場へ戻る。途中、果樹園などもあり楽しいはずが上り坂が辛い
年々体力が落ちている。橘寺も少し考えたがやめた



撮影 令和2年9月23日

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