訪問日 令和4年10月3日
宝雲山 来振寺(きぶりじ)
真言宗智山派の寺院
霊亀元年(715年)行基菩薩により法相宗 真福寺として開山
神亀2年(725年)寺の裏山の白山に黄金色の雪が降り積もった(黄金色の雪は加賀の白山権現菊理媛神天下る)
これを伝え効いた聖武天皇の勅号により「来振寺」と改称
承平7年(937年)真言宗に改宗した
*黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と、その後「来振」の字を当てるようになった
大師堂
堂内の様子
本尊:弘法大師
賓頭盧尊者
弘法大師像
納経所
水子子育地蔵尊
山門(鐘楼門)
扁額には山号の「宝雲山」
山門に四天王の姿が見える
「四天王」は、須弥山中腹の四方を居所とし、山頂の帝釈天に仕える仏法の守護神
持国天(東方)
増長天(南方)
広目天(西方)
多聞天(北方)
観音堂(本堂)
中世には、多くの僧兵を二百数十名有する大寺院だったと伝えられている
鎌倉時代の初めに、美濃国守護の梶原景時が祈願に訪れた
享禄3年(1530年)根尾川の大洪水により寺領を流失
永禄3年(1560年)織田信長の兵火により七堂伽藍相貌を消失
美しすぎる扁額 山号の「宝雲山 」だと思うが……
慶長・元和年間、豊臣秀吉・徳川家康の朱印状を受け寺領を得て再興
宝永6年(1709年)当山出身の儀山僧正が智山第十二世管長就任にあたり、現本尊の十一面観音を当山に寄進、各堂宇を中興した
寺宝の五大尊像(不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・烏蒭沙摩明王の五幅)は国宝
本尊:十一面観世音菩薩(秘仏)
観音立像
不動堂(左)と聖天堂
火渡り結界道場
不動堂前に組まれた護摩壇に護摩が焚かれ、願い事や名前を書いた護摩木に火をくべる
厄年の男女たちが護摩木の炭火の上を素足で歩く「火渡り」を行い、ご利益を祈願する
以前TVで視たことはあったが、火渡りの場所を見たのは初めてである
*YouTube ABCテレビニュース 2021/8/9から
京都・狸谷山不動院の火渡り祭りの様子(3分40秒頃から)
火渡り←クリック
不動堂
魅力的な扁額と字体
鬼瓦
聖天堂
蟇股の彫刻
境内の様子
西国三十三観音堂
三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場
放生池(弁天堂)
竜宮の乙姫と美青年農夫との恋物語の伝説が残る
初めて訪れる寺院で駐車場から歩いた順に掲載した
撮影 訪問日 令和4年10月3日
宝雲山 来振寺(きぶりじ)
真言宗智山派の寺院
霊亀元年(715年)行基菩薩により法相宗 真福寺として開山
神亀2年(725年)寺の裏山の白山に黄金色の雪が降り積もった(黄金色の雪は加賀の白山権現菊理媛神天下る)
これを伝え効いた聖武天皇の勅号により「来振寺」と改称
承平7年(937年)真言宗に改宗した
*黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と、その後「来振」の字を当てるようになった
大師堂
堂内の様子
本尊:弘法大師
賓頭盧尊者
弘法大師像
納経所
水子子育地蔵尊
山門(鐘楼門)
扁額には山号の「宝雲山」
山門に四天王の姿が見える
「四天王」は、須弥山中腹の四方を居所とし、山頂の帝釈天に仕える仏法の守護神
持国天(東方)
増長天(南方)
広目天(西方)
多聞天(北方)
観音堂(本堂)
中世には、多くの僧兵を二百数十名有する大寺院だったと伝えられている
鎌倉時代の初めに、美濃国守護の梶原景時が祈願に訪れた
享禄3年(1530年)根尾川の大洪水により寺領を流失
永禄3年(1560年)織田信長の兵火により七堂伽藍相貌を消失
美しすぎる扁額 山号の「宝雲山 」だと思うが……
慶長・元和年間、豊臣秀吉・徳川家康の朱印状を受け寺領を得て再興
宝永6年(1709年)当山出身の儀山僧正が智山第十二世管長就任にあたり、現本尊の十一面観音を当山に寄進、各堂宇を中興した
寺宝の五大尊像(不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・烏蒭沙摩明王の五幅)は国宝
本尊:十一面観世音菩薩(秘仏)
観音立像
不動堂(左)と聖天堂
火渡り結界道場
不動堂前に組まれた護摩壇に護摩が焚かれ、願い事や名前を書いた護摩木に火をくべる
厄年の男女たちが護摩木の炭火の上を素足で歩く「火渡り」を行い、ご利益を祈願する
以前TVで視たことはあったが、火渡りの場所を見たのは初めてである
*YouTube ABCテレビニュース 2021/8/9から
京都・狸谷山不動院の火渡り祭りの様子(3分40秒頃から)
火渡り←クリック
不動堂
魅力的な扁額と字体
鬼瓦
聖天堂
蟇股の彫刻
境内の様子
西国三十三観音堂
三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場
放生池(弁天堂)
竜宮の乙姫と美青年農夫との恋物語の伝説が残る
初めて訪れる寺院で駐車場から歩いた順に掲載した
撮影 訪問日 令和4年10月3日
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