今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮 224)

2024年04月06日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月13日

八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)
「陸奥国一宮」ということで訪れた

社号標
「国幣中社都都古別神社」と刻まれている



鳥居
第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った
日本武尊を守護した3神が建鉾山に隠れたので、尊は東方に箭(や)を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという



「境内図」



参道の正面に随身門が見えてくる



社務所






狛犬
個性的な風貌をしている






手水舎



随身門(福島県指定文化財)
正徳元年(1711年)に焼失した後、享保年間(1716~36年)に再建されたとみられている
八脚門形式で、彫刻や彩色などの装飾も細部までまとまっている



扁額には「奥州一宮」
「陸奥国一宮」ということで訪れたが、境内図と随身門には「奥州一宮」と
調べていくと陸奥国の別称で奥州と陸州が出てきた
「陸奥国一宮」は鹽竈神社(宮城県塩竈市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町内に2社)となっている



随身像






随身門の彫刻






天井画



獅子像
随身門背面にあり、数センチの隙間にレンズを当て撮ってみた






面白い写真が撮れたと思う






拝殿



扁額には社号の「都々古別神社」
神社の名前を知らなければ読めなかった



随身門から外に出る



社殿



本殿(福島県指定文化財)
祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
   日本武尊(やまとたけるのみこと)



室町末期から江戸初期に当地を治世した佐竹氏により社殿群が充実されたが、正徳元年(1711年)に焼失
現在の社殿群は享保年間(1716~1736年)に再建されたもの



形式は基本的に三間社流造を基調としている
奥行きを通例より長くとるといった独創性が見られ、彫刻などの細部装飾も華やかなつくり



社殿全景



この日は、一宮神社4社と1寺を精力的に巡った
この年の春に「一宮神社」巡りを旅の目的の一つに加えたが実に楽しい



撮影 令和5年10月13日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場都々古別神社(東白川郡... | トップ | 白水阿弥陀堂(福島県いわき... »

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事