今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

宀一山 室生寺(奈良県宇陀市室生)

2013年08月06日 | 神社・仏閣
室生寺を撮るため写真家土門拳は何度も足を運んだという。その写真集に感動し私も何度か室生寺を訪ねた。
1回目は路線バスに揺られ限られた時間内で五重塔と奥の院に、2回目は自家用車で来たのでたっぷり時間をかけて仏像を中心に、そして最高の仏像を発見。
今回が3回目になる。


真言宗室生寺派大本山 宀一山 室生寺の歴史
室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。
山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基は賢憬、本尊は釈迦如来である。

奈良時代末期の宝亀年間(770年-781年)、時の東宮・山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延寿の法を修したところ、竜神の力で見事に回復したので、興福寺の僧・賢憬が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。
賢憬は延暦12年(793年)没しており、造営は同じ興福寺の僧である弟子の修円に引き継がれた。
修円は承和2年(835年)に没しているが、現存の室生寺の堂塔のうち、この時期(9世紀前半)にまでさかのぼると見られるのは五重塔のみであり、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。


本坊表門
室生川に架かる朱塗りの太鼓橋を渡ると本坊の表門が見える。






仁王門
女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。山号の「宀一」は「室生」の略だという。



鎧坂(最初の石段)
最初に急な石段があり、鎧坂とも呼ばれている。
年配者には両脇から支えてあげたり、手すりを使わせるなりの配慮が必要だ。
日本人は困っている人を放っては置かない。私はまだ大丈夫だが介助してもらうなら若くて美しい女性がいい。
上に屋根が見えるのが国宝の金堂である。




金堂(国宝)
屋根は寄棟造、柿葺き。桁行(正面)5間、梁間(側面)5間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する)で、桁行5間、梁間4間の正堂(内陣)の手前に、梁間1間の礼堂を孫庇として付した形になる。
堂内須弥壇上には向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立つ。




十一面観音立像(国宝)
数年前奈良1300年の時、金堂内陣から拝観が許された。
その時は十二神将を間近で観たくて入ったのだが、十一面観音像を真正面から観たときに「今まで探していたものがやっと見つかった」と感じた。
仏像は観る位置で表情を変えるが十一面観音は左端にあるため1回目に観たときは国宝か程度で何も感じなかったが、2回目のその時は全く違った表情に見えた。

今回は3回目で聖林寺の十一面観音とどちらが美しいのだろと確認したくてきたのだが、きっと聖林寺に行かなくても室生寺には来ていたと思う。
今回は内陣には入れないと思い、双眼鏡持参でいったが細かなところまで確認でき本当によかった。







弥勒堂(重要文化財)
入母屋造、杮葺き。桁行3間、梁間3間。鎌倉時代前期の建築だが、江戸時代に大幅に改造されている。
堂内中央の厨子に本尊弥勒菩薩立像(重文)を安置し、向かって右に釈迦如来坐像(国宝)を安置する。










本堂(国宝)
入母屋造、檜皮葺き。桁行5間、梁間5間。室生寺の密教化が進んでいた鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立。梁間5間のうち、手前2間を外陣、奥の3間を内陣とする。
この堂は灌頂堂とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である。
内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重文)を安置し、その手前左右の壁には両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)を向かい合わせに掛け、灌頂堂としての形式を保持している。




五重塔(国宝)
800年頃の建立で、木部を朱塗りとする。
屋外にある木造五重塔としては法隆寺塔に次ぎ、わが国で2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である。
高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどである。




五重塔は、1998年台風7号の強風でそばの杉(高さ約50メートル)が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた。
しかし、心柱を含め、塔の根幹部は損傷せずに済み、復旧工事を1999年から2000年にかけ行った。




修理に際し奈良文化財研究所により、当初材を年輪年代測定法で調査したところ、794年頃に伐採されたものであることが判明した。
このことからも塔の建立年代を800年頃とする従来の定説が裏付けられた。




名前を忘れたが私の好きな像である。最初観たときよりも風化が進んでいると感じた。



場所は分かり難いが写真家土門拳も被写体にしている。



再び鎧坂へ



いつもなら奥の院まで行くのが普通だが長い石段が待っている。
途中、緑に囲まれいいのはわかっているが、今日は最初から行こうと思う気持ちは全くなかった。
室生寺で過ごした半分の時間は十一面観音像が安置する金堂だったように思う。
写真の枚数はいつもより少なくなってしまったが、気持ちは満足感でいっぱいだ。
絵はがき、ファイルを購入、御朱印もお願いした。
気に入った寺、対応のよい寺ではお金を使うようにしている。また来ることになるなと思いながら寺をあとにする。
今回の旅もあと1日を残すのみとなった。


撮影 平成25年5月26日

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