今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

三嶋大社(静岡県三島市大宮町)

2017年07月03日 | 神社・仏閣
三嶋大社
道路地図に大きな字で「三嶋大社」の記載があったので目的地とした
狭い商店街の道路を走っていると繁華街に鳥居が見えた

大鳥居
鳥居の前が道路、右横に大型の駐車場がある。三島市は三嶋大社の門前町として発達した



たたり石
大社前旧東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた
今日では交通安全の霊石として信仰がある



若山牧水の歌碑
三嶋大社の夏祭りを見て歌を詠んだ
 「のずえなる 三島のまちの あげ花火 消えて散るなり」






先に進むと異臭とともに水の枯れた(抜かれた?)池が見えてきた



神池
天長4年(827)にこの神池の水が枯れ天下大旱し、神官の訴えにより朝廷は三嶋神殿において雨乞いを行い、6月11日から15日まで大雨が降ったとある
案内板の内容より鳩に見られている方が気になる



訪れた日は6月15日、このあと小雨から大雨になった



厳島神社
北条政子が勧請し信仰したと伝えられる



狛犬






総門(外構えの門)
建設中に伊豆震災に遭う。初めて台湾檜が使用された昭和の神社建築









矢田部盛治の像
寛永7年(1854)東海大地震で倒壊した社殿を復興した






手水舎



神馬舎
古くから三嶋大社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山を登るという伝説がある



神馬は慶応4年に完成したもの



源頼朝・北条政子「腰掛石」
治承4年5月、平家追討の心願を込めて百日の日参をした折り、腰を掛けて休息したと伝えられる
右側が北条政子が腰掛けた石



神門
慶応3年(1867)竣工



神門の彫刻



舞殿(ぶでん)
古くは「祓殿」と呼ばれる神楽祈祷を行う場であったが、のちに舞の奉納が主となったので「舞殿」と称されるようになった。



東五社



見目(みるめ)神社
三嶋神の后神で、「見目(みめ)」とは「御妃(みめ)」を意味するともいわれる



若宮神社
祭神の物忌奈乃命は三嶋神の御子神



本殿(重要文化財)
嘉永7年(1854)11月4日の東海地震で罹災し、その後再建された社殿



本殿・幣殿・拝殿からなる権現造の複合社殿
雨脚が強くなり傘を持っていなかったため近づくことができなかった



この時は重文とは知らず、遠くから眺めるだけでもったいないことをしたと反省している



芸能殿
雨宿りをしていた場所である。旧総門を一部改造し芸能殿として保存している



小雨になるのを待って走って駐車場に戻る。駐車場は平日にもかかわらず満車状態だった

撮影 平成29年5月15日

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2 コメント

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三島=沼津… (OTETSUDAI @)
2017-07-03 22:41:23
東海道新幹線は三島駅がこだまだけ停まります。東名高速で行くと沼津をめがけていくと三島に着きます。東京から100㎞くらいでしょうか…若かりし時は速度違反は何のそのと1時間で行った覚えがあります。悪行をした後だったので前の車に追突。修理屋を呼んでその場で清算したことがあります。若気の至りか持ち味か…
本殿は流石に立派ですね。多分ずっと観ていても飽きないだろうと思います。他にいろんな神社が奉られていますが名前の聞くものも小さくて「分社」という感じがします。
神馬は道産子のようなものに見えます。競馬向きではないような感じ…キタサンブラックとは馬体が違いますね。
神門の前で頭を垂れている方はあの場所から参拝している謙虚な人でしょうか。参拝を待つ後方の女性はお連れ様…出来た方とお見受けしました。
今日も無銭旅行をありがとうございました。
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所作が美しく、つい (2014kurumatabi)
2017-07-04 00:41:17
街中にある神社というより、神社を中心に町ができたという歴史をもっているようです。興味を持ったのが頼朝と政子が腰を掛けたという石。ただの石の塊だが歴史上の人物が腰を掛けると価値あるものに変わる。生きている時代は違っていても、時を経て同じ場所に立っているということは感慨深いものです。
コメントの女性ですが、所作が美しくついシャッターを押してしまいました。
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