今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

諸嶽山 總持寺(神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目)

2022年05月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年11月11日

曹洞宗大本山 諸嶽山 總持寺
永平寺や総持寺祖院を回ってきたが、いつかは訪れてみたいと思っていた場所がここである
永平寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)
明治44年(1911年)に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転した



三松関(登録有形文化財)
建築様式は高麗門で總持寺の総門



扁額には總持寺中興の祖とされる石川素童禅師揮毫の「三樹松関」
總持寺の祖院がある能登に、龍の形をした三本の松の木があったことに由来する



三門



昭和44年(1969年)落成で、鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさを誇る



三門正面の扁額には總持寺の山号「諸嶽山(しょがくさん)」



金剛力士(仁王)像
元横綱・北の湖の15歳の姿をモデルにしたと伝えられる






裏側から






相丞
説明文によると、相丞とは「師匠から弟子へ正しい仏の教えを伝え、途絶えることなく次の弟子達へ伝えていくこと」とある
釈尊から伝わった仏法は大本山永平寺開祖道元禅師に到り、當大本山開祖の瑩山紹瑾禪師から全国へ流れ出た



開祖 瑩山紹瑾禪師



向唐門(登録有形文化財)
總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り
歴代天皇より勅願寺として仰がれた



「勅使門」の名を残している



宝蔵館(嫡々庵)
宝蔵館「嫡々庵」(旧、宝物殿)は金色に輝く擬宝珠(ぎぼし)を頂いた建物
開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立された



大僧堂(登録有形文化財)
雲水僧が集まり来るという意味で「雲堂」、また仏祖を選出する道場の意から「選佛場」
堂内は内堂(内単86)、外堂(外単30)の二つに区別されている



「選佛場」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書



衆寮(登録有形文化財)
当初は僧堂だったが、現在は坐禅堂として一般参禅者に開放されている



扁額「古教照心」は、祖師の教えの光によって心を照らせ、心をみがけ、という意味



放光堂(登録有形文化財)



明治44年(1911年)11月、總持寺が能登から移転され最初に法要が厳修された記念すべき建物



この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立された
總持寺移転に際して特別に献納された、当時は、大祖堂として中心的な役割を果たした



現在は全国檀信徒の永代供養の位牌を祀り、日夜回向している



仏殿(登録有形文化財)



七堂伽藍の中心部に配置され「大雄宝殿」とも呼んでいる



仏殿内部



中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っている



大祖堂



本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場



扁額「大祖堂」



大祖堂内部



千畳敷の内中外陣



紫雲臺(登録有形文化財)
總持寺の住持・禅師の表方丈の間
宗門の僧侶、全国の檀信徒と相見する大書院



玄関の「紫雲臺」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書



待鳳館(登録有形文化財)
總持寺の迎賓館



大正4年(1915年)竣工。大正12年(1923年)、関東大震災で玄関を除き倒壊
昭和32年(1957年)東京・千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築



香積台(登録有形文化財)
總持寺の総受付



三松閣
檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設もある



梅壽庵
水子供養の相談ごとや慰霊者の受付所



大梵鐘
大正2年(1913年)に、1万6千人ほどの願いや祈りを淨財にして鋳造され、関東一の大きさを誇る



重さが18.75t、毎日休むことなく時を刻げている
大晦日には一般参詣者も、大梵鐘を撞くことができる



三寶殿(登録有形文化財)
本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を守護する三寶大荒神として祀られたことに由来



桜木観音(平成救世観音)



昭和26年4月、横浜・桜木町で起きた電車事故で亡くなられた103人を供養する観音



撮影日 令和3年11月11日
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