蔵のまち喜多方から、 日本赤煉瓦建築番付(赤煉瓦ネットワーク)発行(2013年11月)
東の大関、喜多方三津谷煉瓦蔵たち、です。
昨日は呼び出し(煉瓦窯たち)登り窯を見て頂きました、
本日の画像が、東の大関「喜多方三津谷煉瓦蔵たち」です。
最初の画像は3階蔵と座敷蔵、国登録有形文化財・近代化産業遺産・
建造は大正時代です。最初の登り窯は明治23年に築かれましたが、
同じ場所に現在の登り窯が築かれました、瓦を焼くことからはじまったのですが、
煉瓦を焼く様になったのは土木工事や橋梁、トンネルなどまだコンクリートが普及して無く
その役割を担っていたのが煉瓦だったからと言われています。
この煉瓦を、土木工事でななく、建物にも使う事を勧めた人物が田中又一です。
彼は東京で煉瓦積を学び、喜多方に戻り明治35年以降に煉瓦建造物を建てます。
喜多方の煉瓦建造物の主流となる・木骨煉瓦造り・を喜多方式木骨煉瓦造りを考案し
普及に努めました、煉瓦の壁を木造骨組みに食い込む建造です。これで煉瓦蔵の強度が上がり
以降現在に至るまで数度の地震にも喜多方式木骨煉瓦造の建物は殆ど被害を受けていません。
煉瓦の積み方にもいろいろ有りますが、フランドル積み、明治期にフランス積みと誤訳されたそうです
イギリス積み、小口積み、長手積み、などがあります。画像でも積み方はいろいろです、
喜多方市内には、登録有形文化財の若喜商店煉瓦蔵をはじめ100棟余りの煉瓦蔵が在ります、
画像下側の木造の小屋は、蔵のルーツと言われる板倉です、三津谷集落には数棟在ります。
彼岸花の開花情報が各地から発せられてますが、喜多方市の彼岸花は咲き始めです。