蔵のまち、喜多方から、
暑さは続きますが、街なかはお盆の混雑期を避けて訪れましたと言うお客様が大勢散策しています。
夏休みの土、日、です。 昨日記した昭和レトロミュージアム本日もお客様が次々と訪れています。
本日の画像は板倉です。 蔵のルーツとも言われています。多くは穀蔵ですが市内にも残り少ないようです、
大変貴重な文化財だと思うのですが、こうゆう倉も是非大切に保存して頂きたいと思います。
築100余年は経っているでしょうか、建物の大きさは殆どこれくらいの広さです、この蔵は2間半×1間半ですが、これよりは一回り大きな倉もあります。保存状態も良いようです、こうゆう蔵は必ず母屋から離れて建てられます。
屋敷が広い性もありますが、やはり火事の時に類焼を免れるように建てられたようです。屋根は置き屋根(二重屋根)ですが、建物の天井がご覧の様に土壁になっています。昔から有った赤瓦ですが明治の末には市内の登り窯で焼成されました。あるいは屋根は後から改造されたのかもしれません。
冬になるとすっぽりと雪に埋まるそうです、除雪も大変なそうです。是非大切に保存してください。
会津嶺 あいづね 2012・8月号に喜多方市教育委員会文化課の 山中 雄志先生が執筆しています。
先生は数年前から喜多方の蔵は何時頃からあったのか?と調査をしていますが、現時点では棟札や墨書きで確認できる最も古い蔵は、
天保13年(1842年)築の冠木商店の蔵で昨年3棟の蔵が登録有形文化財に登録されました。
神社などに奉納されている絵馬には天保4年(1833年)に奉納された絵馬に蔵が描かれているそうです。
180年前です、約200年前には当時の北方地方に蔵が建てられていたことになります。
調査が進めばさらに古い年代の建造物が確認できると思います。ご期待ください。
明治時代の後半になると、蔵も大きくなり、軒蛇腹の蔵が増えてきます、そして大正、昭和の初めには長さが20間の巨大蔵が建造されます。
何度も紹介していますが、屋根の構造、小屋組が和小屋組から洋小屋組が広く普及したことによるとされています。
蔵の中に入って二階の天井が、屋根組が見える時は是非、和組と洋組(トラス組)の違いなども見てください。
市内岩月町 とても綺麗でした。