ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

「ホオズキ(鬼灯)」 ナス科 

2023-08-06 07:45:12 | 日記
          「ホオズキ(鬼灯)」 ナス科 ☆7月9日の誕生花☆
           花言葉は…  心の平安・不思議・自然美・私を誘って下さい




  8月6日(日) 今日の和泉市のお天気は “晴一時雨” の予報です。
 昨日(5日)は “晴のち雨” の予報で、夕方4~5時に マークが付いていました。
 が、その時間になってもお空は青空。なんだよう「予報は大外れじゃん」 雨が降るどころか
 曇りもしませんでした。 期待させやがって と思っていました。 が、しかし、
 6時からの広島×巨人を見ていると…  ガラガラ・ドカーン ザ~
 待ってました! さすが、最近の天気予報はよく当たる… クルッと手の平返し  
 約30分ほどでしたが、強い雨が降りました。でも残念ながらもう庭の水撒きは済ませた後だったんです
 昨日の最高気温は35.9℃まで上がりました。ひげの記憶では和泉市の今季最高気温だと思います
 今日(6日)の予報は “晴一時雨” で、お昼過ぎに3時間ほど マークが付いています
 昨日と同様、 降ったら儲けものと思っていましょう 最高気温は34.6℃を予想しています。
 明日・明後日は “曇一時雨” の予報です。これは期待しても良いのかな 台風さんお手柔らかに頼むよ

           熱中症対策… “喉が渇く前に給水を” と呼び掛けています。
   朝も昼も夜も暑い! たまらんわぁ   皆さん無理しないでクーラーを点けましょう! 


      今日8月6日は 『被爆78年目・広島原爆の日』 です。
     以下の文章は被爆者二世として “原爆を語り継ぐ” という意味を込めて、
     毎年 “広島原爆の日” に私の子供の頃の記憶を紹介しています  

  “あの日(原爆投下の日)も良う晴れて暑い日じゃった”… 
 当時の様子を語る人がまず最初に口にする言葉です。
 そして原爆の事を地元の人は “ピカドン” あるいは
 単に “ピカ” と言います。
 ピカッと光ってドンと破裂した事からそう呼ばれたのです。 
 それほどすさまじい閃光だったのでしょうね。
 母も8月6日になると「ピカの日も良う晴れて暑い日じゃった」
 と言っていました。ですが、母から聞いたのはその言葉だけです。 
 辛い体験を思い出したくなかったのか、
 原爆についてはあまり話したがらない母でした。

 私はその日から2年後の8月に生まれているので、もちろん直後の様子は知りません。
ですが、物心付いた5~6年後の光景は記憶に有ります。 
住んでいた近くに法正寺(ほっしょうじ)という寺が有り、当時小学低学年だった私と友達は
倒れた墓石の上を、飛び跳ねて遊んでいる光景です(罰当たりな事です。
当時はなぜこんなに大きな石が倒れているのか、気にもしないで遊んでいました。
後年、原爆の爆風で倒れたのだと知りました。

  土を掘っていて、熱で溶けて飴のようになったガラスも良く見かけました。
今でも掘り起こせば出て来るのではないでしょうか。

  広島駅前の橋のたもとで… 戦争で片足を失った傷痍軍人が白装束でアコーディオンを弾き、
物乞いをしている光景。 ♪ここはお国を何百里…離れて遠き満州の…

 銭湯の女湯… 顔から肩や背中にケロイドのある人が、人目を気にしながら入浴している光景。
当時内湯の有る家は少なく、ずい分恥ずかしい思いをしながらの入浴だったと思います。
こんな事も思い出しました… 父が働いていた会社の社長さんの家に行った時の事。
社長の親せき(女性)の方に出会い 「お父さん、さっきの人、鼻緒(はなお)が切れてる」
と言ったのです。 その人は顔の半分がケロイドで、鼻がつぶれたようになっていたのです。
私は鼻緒の意味も知らずに、ただ鼻からの連想で「鼻緒が切れてる」と口走ったのです。 
父の妹(私の叔母)も被爆者で肩に酷いケロイドが有るのです。
父に目から火が出るくらい叩かれました。 
 
 被爆前の町の様子を知らない私は、世の中はこういう物だと思って受け入れていました。 
戦争に行っていた父以外の親戚は皆んな被爆者でしたが、原爆については殆んど口にしませんでした。 
うすうす近い過去に何か有ったとは気付いていましたが、何が有ったのかを訊くのも憚られる雰囲気で、
私から積極的に聞く事はしませんでした。 

 そうそう、知り合いのお姉さんが原爆に遭っているという理由で、
結婚を断られたと憤慨して話している両親や親戚の光景も思い出します。 
この時はもう原爆が落とされた事は知っており、私たちは何か重い物を背負わされて
いるなと感じたものです。
幸い被爆者である母や親戚の人たちは皆んな長生きしていますが、まだ若かった頃は、
身体に不調が有るたびに原爆と結び付けて、得体の知れない不安に怯えていました。

 いま、広島に落とされた原子爆弾の数千倍もの威力が有る原爆、水爆が、
世界に1万5千発存在するとか。  隣国ではその開発にトチ狂っているし…
ロシアは核使用をちらつかせて西側諸国を牽制しているし… 
誰か気の狂った奴が核兵器のボタンを押さないとも限らない…
核戦争になったら誰が勝者とか敗者とかではなく、地球上に人類がいなくなることが分かっているのか?
原子力発電にしても1度事故が起こればその処理に数百年もかかる… 原子力なんて要らない。




  昨日は久し振り(2週間ぶり?)にブロック注射を射ちに行って来ました。
 しばらく先生は体調不良(コロナ感染?)で休んでおられ、注射出来なかったのです。
 昨日は電話を掛けなくても、もう出ておられるだろうと推測して10時頃に行って来ました。
 最近は以前のように全身の痛みではなく、手の関節に痛みがあり、物が上手く掴めなかった。
毎朝夕、仏壇の線香に火を灯す電子式ライターのレバーを、片手で押し下げることが出来ず、両手の親指を添えて
やっと火を点けていました 湯呑も筒形の湯呑は持てず、持ち手のあるマグカップ型を使っていたのです
スイカやメロンを切る包丁に力が入らないし、風呂ではタオルが絞れない。
注射してから3~4時間経ち、夕方には… いや~楽になりました  痛かったのが嘘みたい
しかしクリニックの駐車場から医院まで、車道を隔てて100mほど。車から降りると太陽がジリジリ



 今日の花は 「ホオズキ(鬼灯)」 です。




花では有りませんが、この実も何となく郷愁を誘いますね。
子供の頃、この袋の中の丸い実を爪楊枝などで突っついて種を出し、
皮だけにした実を口に含み、音を出して遊んだ事を思い出します。 
口の中で袋をつぶすと
その様子が… 頬を突く→ “頬突き” → 「ホオズキ」 の名前の由来になったとか。
でもそれが本当なら “頬突き” → 「ホオキ」のはずですよね
また、“カメムシ(ホウ)” がこの植物の汁を吸う為集まるので、
“ホウ好き” → 「ホオズキ」 と名付けられたという説も有ります。



 によると… 東アジア原産とされていますが、詳しい自生地はわかっていません。
分類上はヨーロッパ~中央アジアに分布するヨウシュホオズキの変種という位置づけです。
現在はもっぱら観賞用として栽培されていますが、昔は根を乾燥させたものが薬として利用されていました。



初夏~夏に淡いクリーム色の小さな花を咲かせ、提灯のような袋に入った果実ができ、お盆頃に赤く色づきます。
袋の部分は萼が大きく発達したもので、専門用語で宿存萼と呼ばれます。袋の中の丸い果実の中にはたくさんの
タネが入っています。冬になると茎葉が枯れますが地下茎があり、春になるとたくさんの芽を出します。
切り花向きには果実が大きくて色づきの早いタンバホオズキ、鉢物には草丈が低いサンズンホオオズキと呼ばれる
園芸品種が多く栽培されています。


上の写真は 「ホウズキの花」 です(6月初旬)。






お盆にはご先祖様がおかえりになる時の目印として、仏壇に飾られます。
スーパーでは2個で200円位で売られています。
「鬼灯」 の字は、怪しげな提灯に似る、の意味でこの字が当てられたそうです。
原産地は東南アジアだそうです。



「ホウズキ(鬼灯)」 に纏わる岩手県の民話… “フジパン・民話の部屋” より…
〖昔、ある旅人が山の中を旅していて、一軒の家を見つけてそこに宿をとったと。
翌朝、起きて畑を見たら、美しいホオズキがたくさん紅く実っていたので、
それをひとつ取って、中の種を出して口にふくみ、プリプリ吹き鳴らしていた。
それをその家の人が見つけて、ひどく驚き、
「お客様は大変な事をしてしまった。 きっと今に大変な罰が当る」 というて顔色を変えたと。


旅人も心配になって 「それはまた、どうしてか」 ときくと、家の人は
「お日様は毎日、東から出て西へお沈みになるが、そのお日様は夜になると
地の下をもぐってこのホウズキの中へお入りになる。 それで、こんなに色が紅くなるのだ。
ホウズキは、お日様の赤ン坊だから。 
お客様は、お日様の赤ン坊を食べたのだと、こういうたと。どっとはらい(←おしまい)〗

 

“児童絵画展”… にアップされていた絵を紹介しています。
今日の絵は小学5年生の女の子(あやちゃん)が描いた 「あや、めっちゃ来てる!」 です。
 作者(あやちゃん)のメッセージ… 
 〖夏休み、家族で必勝祈願のため、勝尾寺に行きました。
 勝尾寺には大きな池があり、たくさんの鯉がいました。 
 私の弟はいつもなんでも全力で、声もリアクションも大きくお調子者です。 
 弟がエサを持って池に近づくと、沢山の鯉がすごい勢いで寄って来ました。
 エサを持っているから鯉が来ているのに、弟は自分だけが人気者になった!
 と思ったようで、目をかがやかせて得意げな顔で私に向かって 
 「あや、めっちゃ来てる!」 とうれしそうに言っていたのが
 おもしろかったのでこの作品を描こうと思いました。

 工夫したところは、必死に口を開けてバシャバシャとはねている鯉の勢いと、
 弟のうれしそうな顔を後ろから見ていた私の目線で表現したところです。
 苦労したところは、池の水が鯉の勢いでゆれてキラキラしていたことを、
 色のまぜ方や濃さ、水の量で調節したところです。
 一週間以上かかって下絵を完成させて、色をぬろうとした時、細かく
 描きすぎてどれがどのかげか、どのしわか、どの鯉の部分なのか
 自分でもわからなくなったけど、思いだしながら
 一つ一つていねいに色をぬりました。
 おもしろかった思い出を上手に切り取ることが出来て良かったです〗

絵も上手ですが、メッセージも作文として十分通用しますね。 凄い文章力です。
しかしこの絵を小5の子供が描けるかねぇ?!。 プロの絵描きさんの作品と言っても可笑しくないですねぇ。
そうだそうだ、大きな鯉が口をパクパク…思ったより大きな口… こんな感じですよね(笑。



 過去の 「ひげ爺の子供見守り隊」 の紹介です
 2018-01-30   5年生の男女らが纏まって帰って来ました。
「おかえり~」 「ただいま~。 おっちゃんおれら投票した」
「お前、投票しただけじゃ何の投票か分からんじゃろうが… もっと分かるように話さんか?」
すると女の子が 「あんなぁ、東京オリンピックのマスコットを決めるねん」
「おうおう、前にテレビで見た事が有るのぅ、お前らも投票したんか?」
先ほどの男の子が 「おれなぁ、アに投票した」 
「ほらまた、アってなんや? ほんとお前の話はよう分からんの~」(笑・汗。
またまた女の子が助け舟 「あんなぁ、ア・イ・ウってマスコットの候補が有ってなぁ、
その中から皆が投票してクラスごとにマスコットを決めんねん」
「ほらほら、こういう風に分かるように話さんなら…」(笑。

  帰宅後に検索して見ると(下段はパラリンピックのマスコット候補)…
 「ア」…伝統と近未来がひとつになった温故知新なキャラクター。
  伝統を重んじる古風な面と最先端の情報に精通する鋭い面をあわせ持っています。
  正義感が強く運動神経バツグンで、どんな場所にも瞬間移動できます。

  「イ」…日本を暖める炎と大地から生まれたキャラクター。
 モデルは福を呼ぶ招き猫や神社のキツネです。 足が速く、走れば谷を作り、
 川が流れるほど。 普段は駆け回っているけれど、縁側でお昼寝するのも大好きです。
 日本のお祭ならではの熱気や活気を伝え、炎の尻尾で人々に元気を与えます。

 「ウ」…日本昔話の世界から飛び出してきたキツネのキャラクター。
 キツネに日本古来の勾玉をあしらって生まれました。 すばしっこくて、スポーツ万能。
  人懐っこい性格でリーダータイプ。 風の精霊と一緒に、選手や観客のみなさんを応援します。
 ※当選した学校には、決定したマスコットが訪れる企画もあるそうです。

なんかもうずいぶん昔のように思えますが、まだ2年前の事ですね(笑。

ひげはこんな定規を持っています。 「2008年オリンピックを大阪に!」
“2001年7月の開催都市決定に向けて、いっそうのご支援をお願いします” と書かれています。
これってお宝?(笑。 これはどこかのマラソン大会の参加賞で貰った物です。 
という事は2001年以前に走った大会ですね。 「東京に!」ではなく「大阪に!」ですからね。
それこそずいぶん昔です(笑。 

 2018-01-31  6年生の女の子たちが3人連れ立って帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~」
「今晩、皆既月食が有るの知っとるか?」 「知ってる、先生が言ってた」
「ほうか、赤いお月さんが見えるらしいで。 ほいでも天気が心配じゃの~」 
すると一人の子が 「うちはどうでもいいわ~」(汗。
「何でや? 3年振りなんでぇ」 「うち、奇麗なもん見ても感動せんねん」(汗。
「面白うない奴じゃ、ほいじゃぁおっちゃんの顔を見ても “男前じゃの~ ”思わんのか?」(笑。
「ぜ~んぜん」(笑。 「そりゃぁ、お前はおかしいわ。 お前はどうや?」
と隣りを歩いている子に振ると、小さく首を左右に振りながら 「うぅ~ん」(汗。
「お前ら2人共美的センスが無いの~(3人目の子に)ほいじゃぁお前は… もうええわ~。
お前ら、正直じゃの~。 ほいじゃが、正直者が損をする事も有るんでぇ~」
と言ってポケットをゴソゴソ(チョコ)… 「あぁ~?! 男前、男前、男前」(笑。

 2018-02-02  今日の見守りは2時半(1・2年生)と3時半の2回。 3時から見守って来ました。
4年生の男の子たちが帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~、あんなぁおっちゃん」
「おう、なんや?」 「こないだ給食に “たい焼き” が出てん」
「へ~、給食に “たい焼き” が出るんか? ほいで美味しかったか?」
「美味しかったよ。 でなぁ1個余ってん」 「なんで? 嫌いな奴がおったんか?」
「違うよぅ、休んだ人のが1個余っててん」 「おうおう、ほいでどうしたい」(笑。
「先生とジャンケンして勝った人が食べる事にしてん」 
「なるほど、ほいで “たい焼き” が欲しい子が何人おったんや?」 「18人」
「そりゃぁ凄い競争率じゃのぅ」(笑。 
「先生と何回もジャンケンして4人になったらなぁ、今度は子供同士でジャンケンした」
「ほう、お前はどうじゃったんや?」 「すぐ先生に負けた」(笑。

 帰宅後、学校のホームページを覗いてみると…
 
〖今週の給食には、「たいやき」が出ました。 めったに出ないこのこんだて。
給食前から、各クラスでの熾烈(しれつ)な争奪戦が予想されました。
クラスの子が休んでいるなどして、たい焼きが残っているクラスをのぞいてみると・・・・・
たった一つのたい焼きを巡って、ジャンケンの真剣勝負です。
「給食 のこりものジャンケン」 いつの時代でも変わりません〗 と書かれていました(笑。

コメント (1)
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