「ボタン(牡丹)」 ボタン科 ☆5月3日の誕生花☆
花言葉は… 王者の風格・富貴・壮麗
4月22日(月) 和泉市の天気は、 “曇時々雨” の予報です。
昨日の予報は “雨” でした。 新聞を取りに出た6時過ぎにはまだ降っていなかったのですが、
8時ごろから 小雨が降り出しました。強い雨ではありませんが、一日中間断なく降り続きました。
昨日の気温変化も面白い。最高気温は夜中0時の18.5℃。それから気温は下がり続け、最低気温はお昼正午の16.0℃でした。
寒い一日になりました。 久しぶりにエアコンの暖房を点けました 暑かったり寒かったり、身体が変になりそう。
今日の和泉市の予報は “曇時々雨” です。 24時間予報では朝方と夜に小雨 マーク。日中は のマークです。
最低気温は朝方4時の16.0℃、最高気温は午後1時の23.1℃を予想しています。 明日は終日 マークが並んでいます。
関東は通勤・通学時間帯に雨 西日本もすっきりしない天気
《全般》22日(月)は低気圧が通過する影響で、関東は通勤・通学時間帯に
雨が予想されます。西日本や東海も天気はすっきりせず、所々で
にわか雨がある見込みです。北日本は日本海側で晴れる所が多くなります。
南の海上を通過する低気圧の影響で、関東は通勤通学の時間帯に雨。
南部を中心に本降りとなります。昼頃までに雨は弱まるものの天気が
回復とはいかず、午後も雨の残る所がある見込みです。
西日本から東海は所々でにわか雨 前線が太平洋側に停滞するため西日本や
東海は雲に覆われます。午後は西日本の各地でにわか雨がある予想です。
北日本は日本海側を中心に晴天 北日本は日本海側で晴れる所が多い。
朝は空気が冷たく感じられても、昼間は日差しがしっかりと届いて
気温が上昇し、過ごしやすい陽気になる見込みです。
早くアップしなければと思っていましたが・・・ もうこんなことに (4月19日)
早くブログに載せなきゃぁ と思いつつ・・・ 春の花が一斉に咲きだし、そちらを先にアップしていると・・・
季節が進むのは早いですねぇ もうこんなに・・・ 「タンポポ」 綿毛だけになっていました
これで強い風が吹いたら、凄いことになりそうですね。 ここを通る人、皆んなが 「へ~クション!」
「タンポポ(蒲公英)」に纏わる中国の伝説
〖 或る金持ちの家に年頃の娘がいました。 或る時、娘の乳房が腫れ上がって激しく痛んだが、
娘は恥ずかしがって誰にも話しませんでした。
娘の身の回りの世話をしている小間使いの娘が気付いて娘の母親に、娘が病気だと告げました。
すると、娘の母親は結婚前の娘に恋人がいると勘違いし、娘を叱りつけました。
娘は乳房の腫れが恥ずかしく、思い悩んで近くの川に身を投げてしまいました。
その夜は明るかったので、川には漁師が娘と一緒に舟を出していました。
水音に気付いた漁師の娘は川に飛び込んで、溺れかけていた娘を助けました。
濡れた衣服を着替えさせる時に娘の乳房の腫れに気付いた漁師は、
次の日に自分の娘を山にやって、薬草を採って来させました。
漁師が薬草を何度か飲ませているうちに娘の病気は少しずつ良くなっていきました。
そして娘は、捜しに来た両親と一緒に家に帰ることになり、漁師は残っていた薬草を娘に持たせてあげました。
娘は家に戻ると薬草を庭に植えてその草を 「蒲公英」 と名付けました。
“蒲” は助けてくれた漁師の姓、 “公英” は漁師の娘の名前だったと云います 〗
まってました‼ 大谷翔平 先制5号2ラン 松井秀喜超えメジャー通算176号!
<ドジャース-メッツ>◇21日(日本時間22日)◇ドジャースタジアム
ドジャース大谷翔平は「2番DH」で先発出場。第2打席で先制5号2ランを放ち通算176号。
ついに松井秀喜を超えた。 3回1死一塁 カウント0-1から131キロの真ん中スイーパーを捉え
右翼席中段へ先制の5号2ラン。松井秀喜を超えるメジャー通算176本目。
打球速度177キロ、飛距離128・9メートル。角度30度。本塁打は8試合、38打席ぶり。
ライトを守っていたメッツのマーテイ選手は打った瞬間、ホームランを確信して
一歩も動かず、スタンドのほうへ顔を向けることもない特大の当たりでした。
日本選手の最多ホームラン記録を更新しました。 by 日刊スポーツ
今日の花は 「ボタン(牡丹)」 です。
“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花” は共に美人を花に喩えた言葉ですね。
中国で 「牡丹」 は花の王様 “花王” と呼ばれ “芍薬” は花の宰相 “花相” と云われているそうです。
私には王様と云うより女王に思えるのですが… いずれにせよ豪華な花です。
原産地は中国北西部で、一説には奈良時代に弘法大師が持ち帰ったと云われています。
中国でもこの花は 「牡丹」 で、日本名 「ボタン」 はこれを音読みしたものだそうです。
別名は沢山有って “百花王” “花王” “花神” “富花” “富貴草” などなど…。
「牡丹」 と “芍薬” は良く似た花で、花を見ては区別が付き難いかも知れません。
でも、根元をを見れば、「牡丹」 は木、 “芍薬” は草ですから一目瞭然です。
ですが、いちいち葉を分けて根元を覗き込むのは無粋ですね。 簡単に見分ける方法が有ります。
⇧「牡丹」⇧ ⇧「芍薬」⇧
“葉に艶が無く、葉の先が幾つかに分かれている(切れ込み)のが 「牡丹」” で、
“葉に艶が有り、葉の先が分かれていなくて、奇麗な舟形だと芍薬” です。
⇧ 上の写真では 左が「牡丹」で、右が「芍薬」です。 そして 「牡丹」 の方が “芍薬” より2~3週間早く咲く様です。
〖栽培の歴史〗 《 ヤサシイエンゲイ》によると… 中国 ボタンの栽培がはじまったのは中国です。
古代中国では、根を薬草として利用していたと言われています。花を観賞するようになったのは5世紀頃の南北朝時代とされ、
庭に植えられたボタンが書物に描かれているのが、最初とされます。唐の時代にブームが起こり、
北宋時代には広く植えられるようになりました。時代が進むにつれ様々な品種が生まれて、接ぎ木などの栽培技術の確立、
栽培の中心地も点々と移り、現在はおよそ500品種があるとされます。
日本 日本には薬用として奈良時代に入ってきたのが最初ではないかと言われています。
「枕草子」「蜻蛉日記」などにボタンの花が描かれているところから、平安時代には花を観賞していたと思われます。
鎌倉時代からお寺や庭園に植えられていたようです。
本格的に栽培されてたくさんの品種ができたのは江戸時代に入ってからです。
明治時代には大阪の池田が栽培の中心となり、中国ボタンも取り入れられて、更に発展しました。
新潟や島根でも古くから栽培されており、優れた品種がいくつも生まれました。
現在は島根県の大根島が一大生産地として、知られています。
その他 20世紀に入ると欧米でも育種がはじまります。新たに発見された野生種なども育種に利用されるようになります。
フランスでは今までになかった鮮やかな黄色のボタンが作られ、アメリカでは花色豊富で強健な品種群が作出されました。
“芍薬” の花を撮らせてもらっている時、たまに「この花、元は牡丹だったのに、芍薬に変わったんですよ」と聞く事が有ります(笑。
調べてみると・・・「牡丹」 は種から育てると花が咲くまでに10年近くかかるそうで、「牡丹」 の苗木は
“芍薬” の台木に接ぎ木された物が売られています。なので台木から “芍薬” の芽が出て来る事が有るんですね。
放置すると 「牡丹」 が負けて “芍薬” に戻ってしまう事になるのだそうです
中国の則天武后と「牡丹」に関わる伝説…
〖或る冬の日、則天武后は御殿の花園へ雪見に出かけました。
則天武后は雪景色が大層気に入りましたが、花の咲いた景色はもっと素晴らしかろうと思い、
花の精たちに 「明朝までに花園の花全てを咲かせるように」 とお命じになりました。
その夜、花の精たちが集まって話し合いました。
各花の精たちは無理難題に悩みましたが、結局、則天武后が怖かったので花を咲かせることにしました。
でも “牡丹の精” だけは四季を乱す行為だとして反対しました。
翌朝… 則天武后は花園を見に行来ました。
桃、李、木蓮、海棠、芙蓉… どの花も満開で、則天武后は喜こびました。
ところが… “牡丹” だけは蕾さえつけていなかったのです。
怒った則天武后は「“牡丹” を根こそぎ抜いて、長安の都から追い出し、洛陽の山に捨てよ」 と命じたのです。
ところが “牡丹” は洛陽の山に根付いて綺麗な花を咲かせました。
則天武后は噂でそのことを聞くと、「洛陽の山の “牡丹” を全て根こそぎ抜いて焼き捨てよ」と命令しました。
しかし則天武后の軍隊が根こそぎ抜いて山積にした “牡丹”は風に飛ばされ、洛陽の都に散らばってしまいました。
そして翌年はもっと綺麗な “牡丹” が咲いたのです。
さすがの則天武后も、これは天の意志、民の願いに違いない、と思い、“牡丹” に危害を加えることを止めました。
こうして洛陽の都は “牡丹” の名所になったという事です〗
岸和田市・和泉市で開催されいた「小中学生の絵画展」「子供絵画展」に展示されていた絵を紹介しています。
今日の絵は中学3年生の女の子が描いた「砂絵・花言葉」です。
なんの花を描いているんでしょうね。
ブルーの絵の印象からすると、ロマンチストで寂しがり屋さん?
「砂絵」ってどうやって描くのでしょう? 検索してみると、詳しく説明されたサイトがありました。
〖砂絵〗 ⇦ 興味のあり方はクリックしてご覧ください。
花言葉は… 王者の風格・富貴・壮麗
4月22日(月) 和泉市の天気は、 “曇時々雨” の予報です。
昨日の予報は “雨” でした。 新聞を取りに出た6時過ぎにはまだ降っていなかったのですが、
8時ごろから 小雨が降り出しました。強い雨ではありませんが、一日中間断なく降り続きました。
昨日の気温変化も面白い。最高気温は夜中0時の18.5℃。それから気温は下がり続け、最低気温はお昼正午の16.0℃でした。
寒い一日になりました。 久しぶりにエアコンの暖房を点けました 暑かったり寒かったり、身体が変になりそう。
今日の和泉市の予報は “曇時々雨” です。 24時間予報では朝方と夜に小雨 マーク。日中は のマークです。
最低気温は朝方4時の16.0℃、最高気温は午後1時の23.1℃を予想しています。 明日は終日 マークが並んでいます。
関東は通勤・通学時間帯に雨 西日本もすっきりしない天気
《全般》22日(月)は低気圧が通過する影響で、関東は通勤・通学時間帯に
雨が予想されます。西日本や東海も天気はすっきりせず、所々で
にわか雨がある見込みです。北日本は日本海側で晴れる所が多くなります。
南の海上を通過する低気圧の影響で、関東は通勤通学の時間帯に雨。
南部を中心に本降りとなります。昼頃までに雨は弱まるものの天気が
回復とはいかず、午後も雨の残る所がある見込みです。
西日本から東海は所々でにわか雨 前線が太平洋側に停滞するため西日本や
東海は雲に覆われます。午後は西日本の各地でにわか雨がある予想です。
北日本は日本海側を中心に晴天 北日本は日本海側で晴れる所が多い。
朝は空気が冷たく感じられても、昼間は日差しがしっかりと届いて
気温が上昇し、過ごしやすい陽気になる見込みです。
早くアップしなければと思っていましたが・・・ もうこんなことに (4月19日)
早くブログに載せなきゃぁ と思いつつ・・・ 春の花が一斉に咲きだし、そちらを先にアップしていると・・・
季節が進むのは早いですねぇ もうこんなに・・・ 「タンポポ」 綿毛だけになっていました
これで強い風が吹いたら、凄いことになりそうですね。 ここを通る人、皆んなが 「へ~クション!」
「タンポポ(蒲公英)」に纏わる中国の伝説
〖 或る金持ちの家に年頃の娘がいました。 或る時、娘の乳房が腫れ上がって激しく痛んだが、
娘は恥ずかしがって誰にも話しませんでした。
娘の身の回りの世話をしている小間使いの娘が気付いて娘の母親に、娘が病気だと告げました。
すると、娘の母親は結婚前の娘に恋人がいると勘違いし、娘を叱りつけました。
娘は乳房の腫れが恥ずかしく、思い悩んで近くの川に身を投げてしまいました。
その夜は明るかったので、川には漁師が娘と一緒に舟を出していました。
水音に気付いた漁師の娘は川に飛び込んで、溺れかけていた娘を助けました。
濡れた衣服を着替えさせる時に娘の乳房の腫れに気付いた漁師は、
次の日に自分の娘を山にやって、薬草を採って来させました。
漁師が薬草を何度か飲ませているうちに娘の病気は少しずつ良くなっていきました。
そして娘は、捜しに来た両親と一緒に家に帰ることになり、漁師は残っていた薬草を娘に持たせてあげました。
娘は家に戻ると薬草を庭に植えてその草を 「蒲公英」 と名付けました。
“蒲” は助けてくれた漁師の姓、 “公英” は漁師の娘の名前だったと云います 〗
まってました‼ 大谷翔平 先制5号2ラン 松井秀喜超えメジャー通算176号!
<ドジャース-メッツ>◇21日(日本時間22日)◇ドジャースタジアム
ドジャース大谷翔平は「2番DH」で先発出場。第2打席で先制5号2ランを放ち通算176号。
ついに松井秀喜を超えた。 3回1死一塁 カウント0-1から131キロの真ん中スイーパーを捉え
右翼席中段へ先制の5号2ラン。松井秀喜を超えるメジャー通算176本目。
打球速度177キロ、飛距離128・9メートル。角度30度。本塁打は8試合、38打席ぶり。
ライトを守っていたメッツのマーテイ選手は打った瞬間、ホームランを確信して
一歩も動かず、スタンドのほうへ顔を向けることもない特大の当たりでした。
日本選手の最多ホームラン記録を更新しました。 by 日刊スポーツ
今日の花は 「ボタン(牡丹)」 です。
“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花” は共に美人を花に喩えた言葉ですね。
中国で 「牡丹」 は花の王様 “花王” と呼ばれ “芍薬” は花の宰相 “花相” と云われているそうです。
私には王様と云うより女王に思えるのですが… いずれにせよ豪華な花です。
原産地は中国北西部で、一説には奈良時代に弘法大師が持ち帰ったと云われています。
中国でもこの花は 「牡丹」 で、日本名 「ボタン」 はこれを音読みしたものだそうです。
別名は沢山有って “百花王” “花王” “花神” “富花” “富貴草” などなど…。
「牡丹」 と “芍薬” は良く似た花で、花を見ては区別が付き難いかも知れません。
でも、根元をを見れば、「牡丹」 は木、 “芍薬” は草ですから一目瞭然です。
ですが、いちいち葉を分けて根元を覗き込むのは無粋ですね。 簡単に見分ける方法が有ります。
⇧「牡丹」⇧ ⇧「芍薬」⇧
“葉に艶が無く、葉の先が幾つかに分かれている(切れ込み)のが 「牡丹」” で、
“葉に艶が有り、葉の先が分かれていなくて、奇麗な舟形だと芍薬” です。
⇧ 上の写真では 左が「牡丹」で、右が「芍薬」です。 そして 「牡丹」 の方が “芍薬” より2~3週間早く咲く様です。
〖栽培の歴史〗 《 ヤサシイエンゲイ》によると… 中国 ボタンの栽培がはじまったのは中国です。
古代中国では、根を薬草として利用していたと言われています。花を観賞するようになったのは5世紀頃の南北朝時代とされ、
庭に植えられたボタンが書物に描かれているのが、最初とされます。唐の時代にブームが起こり、
北宋時代には広く植えられるようになりました。時代が進むにつれ様々な品種が生まれて、接ぎ木などの栽培技術の確立、
栽培の中心地も点々と移り、現在はおよそ500品種があるとされます。
日本 日本には薬用として奈良時代に入ってきたのが最初ではないかと言われています。
「枕草子」「蜻蛉日記」などにボタンの花が描かれているところから、平安時代には花を観賞していたと思われます。
鎌倉時代からお寺や庭園に植えられていたようです。
本格的に栽培されてたくさんの品種ができたのは江戸時代に入ってからです。
明治時代には大阪の池田が栽培の中心となり、中国ボタンも取り入れられて、更に発展しました。
新潟や島根でも古くから栽培されており、優れた品種がいくつも生まれました。
現在は島根県の大根島が一大生産地として、知られています。
その他 20世紀に入ると欧米でも育種がはじまります。新たに発見された野生種なども育種に利用されるようになります。
フランスでは今までになかった鮮やかな黄色のボタンが作られ、アメリカでは花色豊富で強健な品種群が作出されました。
“芍薬” の花を撮らせてもらっている時、たまに「この花、元は牡丹だったのに、芍薬に変わったんですよ」と聞く事が有ります(笑。
調べてみると・・・「牡丹」 は種から育てると花が咲くまでに10年近くかかるそうで、「牡丹」 の苗木は
“芍薬” の台木に接ぎ木された物が売られています。なので台木から “芍薬” の芽が出て来る事が有るんですね。
放置すると 「牡丹」 が負けて “芍薬” に戻ってしまう事になるのだそうです
中国の則天武后と「牡丹」に関わる伝説…
〖或る冬の日、則天武后は御殿の花園へ雪見に出かけました。
則天武后は雪景色が大層気に入りましたが、花の咲いた景色はもっと素晴らしかろうと思い、
花の精たちに 「明朝までに花園の花全てを咲かせるように」 とお命じになりました。
その夜、花の精たちが集まって話し合いました。
各花の精たちは無理難題に悩みましたが、結局、則天武后が怖かったので花を咲かせることにしました。
でも “牡丹の精” だけは四季を乱す行為だとして反対しました。
翌朝… 則天武后は花園を見に行来ました。
桃、李、木蓮、海棠、芙蓉… どの花も満開で、則天武后は喜こびました。
ところが… “牡丹” だけは蕾さえつけていなかったのです。
怒った則天武后は「“牡丹” を根こそぎ抜いて、長安の都から追い出し、洛陽の山に捨てよ」 と命じたのです。
ところが “牡丹” は洛陽の山に根付いて綺麗な花を咲かせました。
則天武后は噂でそのことを聞くと、「洛陽の山の “牡丹” を全て根こそぎ抜いて焼き捨てよ」と命令しました。
しかし則天武后の軍隊が根こそぎ抜いて山積にした “牡丹”は風に飛ばされ、洛陽の都に散らばってしまいました。
そして翌年はもっと綺麗な “牡丹” が咲いたのです。
さすがの則天武后も、これは天の意志、民の願いに違いない、と思い、“牡丹” に危害を加えることを止めました。
こうして洛陽の都は “牡丹” の名所になったという事です〗
岸和田市・和泉市で開催されいた「小中学生の絵画展」「子供絵画展」に展示されていた絵を紹介しています。
今日の絵は中学3年生の女の子が描いた「砂絵・花言葉」です。
なんの花を描いているんでしょうね。
ブルーの絵の印象からすると、ロマンチストで寂しがり屋さん?
「砂絵」ってどうやって描くのでしょう? 検索してみると、詳しく説明されたサイトがありました。
〖砂絵〗 ⇦ 興味のあり方はクリックしてご覧ください。