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しかし、合格前には、三浪覚悟はしていたことは確かなこと。もう、親には、留年などで経済的に苦労は掛けられないし(長兄も次兄も、大学在学時に、奨学金をもらっていたが、自分は、もらわなかった)、三浪していると思って頑張らないといけないと思った。
私は、医者は体力が第一と考えて、テニス部に入り、毎日汗を流した。講義が終わると、直ぐに医学部のある鶴丸城跡のテニスコートに行き、暗くなるまで打った。よく城山の頂上まで走った。そこから眺める桜島と鹿児島の夜景は、素晴らしかった。
教養2年の春休みに自動車免許を取った。中国医学が将来必要になると思い、日中友好協会主催の中国語講座にも参加した(初級編は、全て皆勤し、修了証書をもらった)。○○原理の講義を泊まり込みで聴いた(少しおかしいと思いながらも)。教養2年の夏休みには昼飯も摂らずに、2週間ぶっ続けで、同じテニス部の友達に誘われてダンスホールに通った(それで、今でも、ジルバが踊れます)。
しかし、朝4時に起き、夜9時までに就寝していることが多かった。NHKラジオで、ドイツ語講座・フランス語講座を実に真面目に聴いた。
ほぼマイペースで、ほぼ規則正しく生活し、よく運動し、よく本を読み、よく食べ、よく話し、よく遊び、そして、よく勉強した。しかし、私は、この教養部の2年間、よく恋愛だけはしなかった。(恋愛編は、専門1年生の11月からのに記載されています)