日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その38)

2007-03-19 09:54:56 | Weblog
○専門1年、4月10日(月)晴。(昭和47年1972年)
 今日から専門の授業が始まった。緊張していた・・・。
○専門1年、4月12日(水)晴。
 5時過ぎに起きた。今日の授業は、まあまあの出来。今までで一番よく理解できた。解剖2の予習がしたいが、本がない。
○専門1年、4月15日(土)雨。
 生化学ばかりの日。予習しないとわからない。リン脂質の所が理解できなかった。
○専門1年、4月20日(木)雨。
 いい日だった。予習したせいか、中川先生の生化学は、よく理解できた。解剖2の本がないので困っている。お金3万(家からの毎月の仕送りの金額)がまだ来ない。
○専門1年、4月21日(金)曇。
 今日の生理1は、全く駄目だった。予習をしなかったからだ。クラス会があった。どんな医者になりたいかと聞かれたので、「勉強して、実力のある医者になって誤診をなくしたい・・・」と言った。皆、どんな風にとったかなあ?3万円のお金、いつ来るのかなあ。
○専門1年、4月23日(日)曇。
 ガックリ、計画表通りにはちっとも行かず、勉強は更に悪化。心細くなって来た。
○専門1年、4月29日(土)曇。
 一日中、勉強したつもりであったが、殆ど進んでいない。天皇さんは、71歳になったとか。○○レストランでカレーを食べていたら、そこの女の娘が、「理想の人は、めがねを掛けていなくて、背が高くて・・・」と条件を言っていた。今時の女はなっとらん、そうつくづく思ったぞえ。俺の価値が分かる女と結婚したいなあ。
○専門1年、5月1日(月)曇。
 午後3時頃(この日は、授業がなかった)に解剖学教室に行ったら、何と10人以上の人がもくもくと実習していた。皆、一生懸命に勉強してるんだなあと思った。今日もあまり進まなかったが、予習をしっかりした上で、実物を現に見て勉強すると実に楽しいことを再確認した。
○専門1年、5月14日(日)曇。
 朝、2時に起きて勉強した。ラテン語を復習した。何となくラテン語で骨の名前を覚えるのが気軽に出来る感じになった。今、6時15分、あまり進んでいないが、無駄はなかった感じだ。骨学の勉強、明日までにはほぼ完全に終わりたい。便所にラテン語で骨名を書いて、いつも見ることにした。
○専門1年、5月21日(日)晴。
 出来た。「雑草」の文集が出来た(5月11日に、クラスで、自分が文集委員長に選ばれていた)。この創造の喜びは、何にも換えられぬもんだ。嬉しい。飛び上がっても、まだまだ足りない位だ。成せば成るということをここでも悟った。しかし、皆がよく協力してくれた。井口、貝島、本岡に感謝する。明日が楽しみだ。
○専門1年、5月22日(月)
 文集を読んでみた。面白い。「田原だから出来たんだ、よく頑張ったねえ」と言ってくれる人がいた。嬉しい。有り難う。本当に嬉しかった。だけど、授業中、眠かった。視力がだいぶ落ちている感じだ。風邪を引いている人がいるが、テニスで鍛えたおかげでか、それを免れている。小さい頃は、いつも春休み前に(インフルエンザで)引いていたなあ。体力第一だ。文集を加納先生(高校3年の時の担任)と近本のおばさん(福岡で浪人していた時の下宿のおばさん)にあげよう。
○専門1年、5月29日(月)晴。
 今日は、骨学の試験がある。専門に入って初めての試験。一応、解剖学の本読み、ノートを読み、「頭蓋骨観察の手引き」をやった。まあ、どんなに悪くても、80点は、取れるはずだ(沢山の骨が並べられていて、それに旗が立っていて、僅か1分間でずって行って、解剖名を書く試験で、旗をどこにあるのか探すのに時間が掛かって、時間不足で知っていても充分に書けなかった人が多かったが、結果は、87点であった)。
 昨日は、俺の記念すべき23歳の誕生日。夏休みは、必死になって勉強しないといけない。一日一日を大切にし、無駄、無理、ムラをなくすことだ。俺の勉強法は、完全なる朝型で、予習型だ。

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為になるかも知れない本(その37)

2007-03-19 07:21:39 | Weblog
専門4年生(執筆者不明)

 4年前、岩崎谷のある家の白いこぶしの花を見て、「ああ、いよいよ専門か」と、新しい門出に感じたのも昨日の様な気がする。その白い花が真っ青な青空を背景に目にしみる様に鮮やかであったのを思い出す。今又、暖かい春の光のもとにその蕾がふくらんで、4年の月日が瞬く間に過ぎたことを改めて痛感する。
 解剖学に始まる医学の門を初めて叩いた時、漠とした広大な学問に感嘆し、蟷螂の斧を振う如しと考えて、無気力に過ごした1年の頃。あの当時は学問に対して謙虚さがなかったことが恥ずかしい。
 こうして惰眠をさぼっていた自分に警鐘となったのは、生化学に居られた森沢先生であった。先生は講義の合間に時々先生の人生観を話しておられた。ある日、「安易な自己満足に陥ることを恐れよ、常に向上への不安の中にあれ!」と言われた。この言葉に非常に感銘を受け、後日、ともすると低きへ流れようとする自分の心の支えになった。
 だが、振り返って見ると、勉学にしろ、他の学内の活動にしろ、いつも自分は消極的であった。自分で自分の視野を狭くして、その中で一つの方向のみに目を向けていた様に感ずる。事物を見て疑問を生じても、目をつむり受動的に行動することが多かった。物事の意義や必然性を考える努力を怠っていた。自分の世界が非常に狭かったと思う。
 医学教育や医療など、全てのことが関係する中で、自己の内面的な努力と一緒に自分の周りの環境を改善する努力なしでは、真の発展はないと思う。医術を研鑽することも必要だが、広い視野に立った医者となることも必要だろう。
 今卒業にあたって、医学に対して謙虚であり、良き医者となることが社会へ対しての責任であり、そうありたいと考える。

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