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昨日は、松田(愛光高、同じテニス部)、大久保(ラ・サール高、同じテニス部)、原口(佐賀県神埼高)の4人で、えびの高原にレンタカーを借りて行った。運転するのがとても楽しかった。運転するのに少し自信がついた。安全運転を心掛けた。急ぐ必要はない。・・・それにしても、昨日のドライブ、(一人2000円ずつ出したが)2000円で、充分に楽しんだ感じ。
○教養2年、1月7日(金)曇。
中国語(日中友好協会主催)が終わった。明日から講義だ。この冬休み、学校の勉強は、全くしなかったが、自分のやりたい勉強をしたのは大きな収穫だった。
10時頃、A(鶴丸高、1年の夏休みまで、京大医目指して受験勉強していた。医学部での卒業時の成績は1点差で2番、英語の辞書を全て覚えていたとのことで、暗記のAとして、高校の時だけでなく、学部内でも多くの人に知れ渡っていた。)の家に行った。10時半頃、Aと原口と三人で、おしるこを作って、腹一杯食べた。隣の娘とアパートの管理人のおばあさんに残りをあげた。川添(修猷館高)が午後来た。
○○が来た(2学年下の佐伯鶴城高の後輩、彼が、高校の担任の先生に、医学部を受験すると言ったら、母校の高校の担任の先生が、頑張ってもまず受かる可能性はないから、諦める様に言われていた。まあ、ひょっとして運が良ければ、2浪ぐらいしたら、国立医学部に合格するかも知れないとも言われていた。しかし、彼は、私の薦めで修猷学館に通い、1浪で、見事に鹿大医を合格、その時、担任の先生から葉書が来ていて、それを自分に見せてくれた。そこには、・・・ただただ敬服に絶えず・・と書かれてあった)。
(45年入学の鹿大医入学生に、修猷学館と修猷館出身者が、7名いた)