日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その31)

2007-03-15 07:38:32 | Weblog
○教養2年、2月2日(水)晴。
 横井さんが帰って来た。正に、フランクルといい、少し落ちるが俺の浪人生活といい・・・。「人間は生きる為に生きる」とは、秦一郎先生(佐伯鶴城高校現代国語の先生)の印象的な言葉だった。第一声の、「恥ずかしくも」という言葉は、教育の偉大さを物語っている。今、俺は夢を見ているのかなあ。夢を見ていないという保証はない。しかし、自分が存在しているというのは確かだ。ちょっとわからなくなった。俺の頭の能力の限界を超えた問題だ。

○教養2年、2月5日(土)曇。
 哲学の先生が、「夜と霧」(アウシュビッツ収容所のことが書かれてある)の内容について言った。「ぎりぎりの限界に人間が置かれている時、唯一の支えになるものは、目的を持って未来を信ずること。あの極限の中で、牧師と医師のみが生き延びることが出来たのは、、自分が死ねば同僚が直ぐに死んでしまうと思っていたから。つまり、牧師と医師は、愛の為に生き延びることが出来た。」と言った。

○教養2年、2月7日(月)曇。
 記念すべき日。そう俺は言いたい。今日のラテン語の講義、何と学生は、自分一人であった。講師の協会司教大野先生が僕に質問をどんどんしてくる。俺は言いたい、何が秀才だ、何が医学部だ、学ぶ者のみ救われる。
 ラテン語(解剖名は、全て、ラテン語。外国では、処方箋をラテン語で書くらしい)の単位を取ったのは、自分とH口(修猷学館で一緒に学び、同じアパートに住んでいた、現在麻酔科勤務医)とM田(修猷館卒、現在内科医)の3名だけだった。


 莫大な量の医学用語を覚えるのに、語源的に覚えると、芋づる式に覚えられ、新しい単語に出会っても、何となく、どういう意味かが想像できる。その元は、ラテン語(時にギリシャ語)である。
 例えば、腎臓に関する単語を覚えるのに、英語では、kidney、ドイツ語では、Niereと覚えても、応用が効かない。それを、ラテン語で、renと覚えると、腎のと言う形容詞のrenalや、それから分泌されるレニンなど、理解し易いこととなる。
 肝臓は、英語では、liver、ドイツ語では、Leberと言うが、これも、ラテン語で、hepar覚えると、肝臓のと言う形容詞は、hepaticであり、ヘパリンなども、理解し易い。
 胃も、stomach、Magenが、ラテン語では、gasterで、胃のと言う形容詞は、gastricとなり、胃から分泌されるガストリンも理解し易い(inとは、分泌を意味する)。
 心臓も、heart、Herzが、ラテン語だと、corで、心臓のと言う形容詞は、cardiacとなり、カルディオライピンなる物質も何となく理解できることとなる。
 医学単語にフランス語が出て来ても(整形外科や眼科や神経関係の単語でよく出てくるが)、初めから正確に発音できているドクターは、少ないと思われる。


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